誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(50):★★★ゲーラ Gera -9-

★★★ゲーラ Gera -8- からの続きです

引き続き Schlossstrasseから Clara-Zetkin Strasse、Puschkinplatzを通り、駅の反対側にある劇場と公園を目指して歩きます。下の地図はクリックすると拡大します。

立派な建物があります。「Gerichts-Gebäude」とあり、地方裁判所や法務局などの複合施設のようです。

こういうプレートが埋め込まれています。「Antifaschistisch(反ファシズム)」という単語があることで、これは旧東独時代のプレートだということがわかります。社会主義国家としての旧東独のレゾン・デーテル(存在理由)は「ファシスト(ナチス)に弾圧されていた社会主義者・共産主義者の国家である」ということで「現在の(当時の)西独国家はファシストの後継国家であって、我々東独政権は、それと戦った勢力の政権である(=第二次世界大戦の戦争責任は負っていない)」というものです。

余談ですが、所謂「ベルリンの壁 Berliner Mauer」は、東独サイドでは「Antifaschistiche Schützmauer(反ファシズム防護壁)」と呼ばれていたのです。

ということで、当時ナチスや秘密警察に殺害された社会主義者・抵抗運動を率いた人物などは「Antifaschistischer Kämpfer(反ファシズムの戦士)」として顕彰されていました。

「ルドルフ・ディーナーは、ゲーラの労働者団体で有名な人物である。彼は1923年から赤色戦線闘争連盟に、1924年からKPD(ドイツ共産党)に所属していた。1933年に党が非合法化されたとき、ルドルフ・ディーナーはゲラ東地区の細胞リーダーを務めていた。1934年5月3日、初めて逮捕され、10月22日、大逆罪の準備罪で2年3ヶ月の実刑判決を受けた。その後、ブッヘンヴァルト強制収容所に30カ月間収容された。1940年10月20日に再び逮捕され、1941年3月13日にゲラの Amthordurchgang刑務所でゲシュタポに殺害された。」・・・と市の公式サイトにあります。

「Gerichts-Gebäude」の裏手に、あまり目立ちはしませんが、こういう入り口があります。よく見ると「Amthordurchgang」とあり、上述の Rudolf Dienerが秘密警察(GeStaPo)に殺害された場所が Gedenkstätteとなっています。

「ゲーラの Amthordurchgang記念館は、両ドイツ独裁政権(ナチス政権と旧東独政権)の犠牲者を追悼する場所であり、コミュニケーション、情報、資料のための重要な接点でもあるのです。

この記念館は、1874年に建てられた刑務所の一部で、1989年まで監察棟として使用されていた建物にあります。実際の独房棟は 1999年に取り壊されました。記念碑は、かつての刑務所の管理棟にあります。1933年から1945年、1945年から1989年までの政治犯収容所のゲートハウス内にある記念館と集会所が2005年11月18日からオープンしています。」(独語 Wikipedia

Clara-Zetkin Strasseに出ます。Clara Zetkinクララ・ツェトキン)は「ドイツの政治家・フェミニスト。社会主義の立場による女性解放運動を主導し、女性解放運動の母と呼ばれる。」とのことで、日本でいえば「平塚らいてう」とか「市川房江」に相当する女性でしょうか。旧東独には「Clara-Zetkin Strasse」は数多く存在します。

Clara-Zetkin Strasseにある Johanniskircheには今回立ち寄らなかったので、2012年 8月に訪問した時の画像をアップしておきます。この時はちょうどリノベーション途上でしたが、工事の責任者の人に「日本から来たんだよ」というと中に入れてくれたのです。

★★★ゲーラ Gera -10- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る