誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(61):★★★ロェーバウ Löbau -9-

★★★ロェーバウ Löbau -8- からの続きです

さてシュミンケ邸から駅までは徒歩で 20分弱・・・頑張ってもうひと歩きします。立派な Villaがあり、やはりかつてはかなり裕福な町だったんだろうなということが偲ばれます。

August-Bebel-Strasse・・・この社会主義政治家の名前を冠した通りは、ちゃんと数えたわけではないですが、ひょっとしたら旧東独の町の通りの名前では Puschkin Strasseと並んで一番多いのではないかと思われるくらい、どこの町にもあります。

その通りにある建物・・・上の右はカトリック教会ですが、上の左の装飾のある建物は「ベル・エポック」の建物を集めたこちらのサイトにも掲載されています。上の Villaも、少し下にある Villaも掲載されており、このあたり一帯はそのころに開拓され、こういう建物が建てられたものと想像されます。右の写真はそのサイトから借用した建物の全容(別角度から)です。

しかし・・・深入りするとキリがなくなりそうなんだけど、上でリンクを張った「Die Belle Epoque in Europa」・・・これは深入りしてみたいテーマですね(笑)

同じく、August-Bebel-Strasseにある「Geschwister-Scholl-Gymnasium」です。ナチスに抵抗運動(白バラ運動)を展開し、最後はギロチンで処刑されたショル兄妹の名前を冠したこの学校に関する独語 Wikipediaはこちらです。ナチスへの抵抗運動ということで、この名前の学校は社会主義政権の東独になってからそのように改名されたものが多く、私が実際に見かけただけでも他に SondershausenSaalfeldにあります。恐らく Albert-Bebel-Strasseと同じくらいあるのではないでしょうか・・・(知らんけど(笑))

やっと駅前に戻ってきました。駅前の案内地図によると市の東側には「Löbauer Berg」という小高い山があり、そこには「König-Friedrich-August-­Turm」という鉄製の塔があるようです。

さて、駅に着きました。車両には「Sorbisch? Na klar」(ソルブ語?もちろん)と書かれており、このあたりがソルブ語Sorbischというスラブ系統の言語が残っている地域というコトを思い出させてくれます。字面からはチェコ語に近い印象ですが、周辺がドイツ語なので孤立しており「言語の孤島(Sprachinsel)」という形で話者も減少して絶滅危惧言語となっています。

東独時代からそれに歯止めをかける努力は政府肝いりでなされており、こういう公共交通機関・道路や地名の標識や看板などはに言語表記となっています。下のソルブ語は読めませんが、想像力を目いっぱい働かせてみると・・・「Budysinaは Bautzenという町の名前(これは知ってた)」、「Drjezdzanはなんとなく Dresdenと読めなくはない」・・・Za 35 xxxxは分かりませんが「ドレスデンからバウツェンまで 35分で」みたいな意味ですかね。スラブ系言語をご存じの方、正解をお教えください(笑)

そのバウツェン(Bautzen:Budysin)までは、ここから僅か 13分なので、泊まっているドレスデンに戻る前にちょっと町を覗いていくことにします。

★★★ロェーバウ Löbau -9- を終ります。

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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