- 2022-8-8
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★★★ゾンダースハウゼン Sondrshausen -7- からの続きです
駅に向かって歩きます。帰りは東西に延びる3本のメイン通りのうち、一番南側の Güntherstraßeを通ることにします。
立派な建物が見えますが、これは「Geschwister-Scholl-Gymnasium Sondershausen」というギムナジウムで、名前はナチス時代に抵抗運動を行ったミュンヘン大学の学生組織「白バラ」に属し、若くして処刑されたショル兄妹にちなんでいます。
独語 Wikipediaには「ショル兄弟は、通常、ハンス・ショル、ソフィー・ショルと呼ばれる。両者は、第二次世界大戦中、国家社会主義に対する抵抗運動、特に戦争とアドルフ・ヒトラーのもとでのファシスト独裁に反対するビラの配布で活躍したミュンヘンの学生グループ「白バラ」のメンバーとして知られるようになる。戦後から今日に至るまで、ハンスとゾフィーは、全体主義的なナチス政権に対するドイツ国内の抵抗勢力として、人間的な価値を志向する重要なシンボル的存在とみなされている。」とあります。↓↓画像はクリックするとスライドショーになります。
Ferdinand Menge, * 1876年10月29日 in Freienbessingen, † 1962年7月28日 in Sondershausen)は、ドイツの画家、グラフィックアーティストが 1910年~1945年までここに住んでいた・・・とのことですが、流石に知らんな~(笑)
1904年にようやくゾンダースハウゼンに戻り、ここでフリーの画家として活動することになった。そのため、彼は大きな成功を収め、尊敬を集めるようになった。彼の主な収入源は、ゾンダースハウゼンやその周辺の高位な人物からの肖像画の依頼であった。また、ポスターやグリーティングカード、カレンダーや年鑑のデザイン、写真のオーバーペイントやカラーリングなども手がけました。第一次世界大戦では、40歳近くで兵士として徴兵され、東部戦線に従軍した。
戦後は、1921年に登場したソンダースハウゼンの非常用貨幣のデザインを手がけるなど、多くの依頼を受けるようになった。
いかにも旧東独に在りがちな建物とその様相ですが「Ferienwohnung(滞在型民泊)」の看板があります。観光地などにはよくありますが、こういう鄙びた町で・・・?まあ、確かにホテルは殆ど無い一方で、この町は「Musik- und Bergstadt」として売り出しており、音楽イベントも開催されるようなので、その時に一時的に数が膨らむ来訪者を吸収する需要はあるのかもしれませんね。Booking.comで検索すると 10件ほどヒットします。お試しください。
しかし・・・この町って、いやこの町に限らず旧東独のこういう規模の町って、飲食店や居酒屋が極端に少ないんです。イベントを催して人を惹き付けても、それをもてなすインフラがもう少し充実するといいのに・・・という気がします。
★★★ゾンダースハウゼン Sondrshausen -9- に続きます