- 2022-2-23
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町のほぼ中央に、どっしりした存在感のある教会があります。聖パトロクリ聖堂(St.-Patrokli-Dom)St.-Patrokli-Domです。この地域で産出される緑色の砂岩のブロックが印象的です。
↓↓ 聖パトロクリ聖堂(St.-Patrokli-Dom):
ドイツの教会の名前といえば「St.Michael(ザンクト・ミヒャエル)」・「St.Pauli(ザンクト・パウリ)」・「St.Johannis(ザンクト・ヨハニス)」・「St.Marien(ザンクト・マリエン)」などというのが定番ですが、「St.Patrokli(ザンクト・パトロクリ)」というのは他ではあまり他では聞かないですよね?ザンクト・ペトリの変化球かな?と思ったら、その「St.Petri(ザンクト・ペトリ)教会」は、なんとこのザンクト・パトリクリのすぐ向かいに隣接して建っています。左のやや小さいほうがそれです。
↓↓ 画像はクリックすると拡大しますのでご確認ください
上の航空写真は英語版で、この聖堂は「Cathedral of St.Patroclus」とあります。この Patroclusを調べてみると、どうやらギリシャ神話に登場する人物のようです。(英 Patroclus:独 Patroklos:日 パトロクロス)
でも、何故ギリシャ神話の人物が、ドイツのカトリック教会の名前に?
英語版の Wikipediaの冒頭部分には「聖パトロクリは、ドイツ・ゾーストにあるローマ・カトリックの小教区・教会である。この教会は、ヴェストファーレンにおけるロマネスク建築の典型であり、建築史において重要な意義を持つ。そのため、St.-Patrokli-Dom(聖パトロクロスの「聖堂」)として知られている。954年からの守護聖人、トロワのパトロクロスの聖遺物を所蔵している。10世紀から 1812年に廃止されるまで存在した聖パトロクロスの正統な教団(修道会)の教会であった。
1823年からはパーダーボルン教区の聖パトロクリ教区の教会となった。1859年には宰相教会に昇格した。(In 1859 it was promoted to the rank of provost church.)」とあります。
まあ、パトロクロスという人物の遺骨(聖遺物)が信仰の対象になったとか信仰の権威付けとして利用されたということなのでしょう、聖遺物(Reliquie (von lateinisch reliquiae, „Zurückgelassenes“, „Überbleibsel“) )を調べてみると「ほう、そういうものか」とは思います。8世紀のキリスト教では「もっとも重要な祭儀である「聖餐」を執り行う主祭壇の下には、聖人の遺体か、少なくともその一部が埋葬されていなくてはならないと定められた。このため聖堂を建てるときには聖遺物の入手が不可欠となった。」とのことです。
「聖遺物は神の恩寵を地上に媒介することで奇跡を起こすと考えられた。そのため奇跡で評判の聖遺物を所有する者は、自分こそ神の恩寵にあずかる正しいすべを保持する正当な権力者であることを証明できた。そこで中世ヨーロッパ社会では高位聖職者や王侯貴族などの権力者が人脈や財力を駆使して、キリストや人気の高い聖人の聖遺物を入手しようと競った。また、聖遺物には奇跡を起こすちからによって大勢の巡礼者を引き付け、教会のひいては町、国の格を高め、さらには巡礼者(現在で言えば観光客)を引き寄せられるというメリットもあった。」とあります。ふむふむ、なるほど。
「聖体神学との関係:特別な力を認められた人物の墓や聖廟に詣でて祈願する宗教実践や、遺体、遺骨の分与が社会において一定の役割を果たす状況は、仏教、ユダヤ教、イスラーム世界にも認められる。だがキリスト教の聖遺物には「キリストの身体との関係」という特徴がある。キリスト教ではキリストが十字架にかかって自らの肉と血を神にささげた「受難」によって神の恩寵がこの世界にもたらされ、人の罪が購われたとされる。この救いの業を受け継ぐのが聖体拝領の祭儀である。その中で神にささげられ信徒に分け与えられる「聖体(パンと葡萄酒)」は、受難におけるキリストの肉と血と同じように神の恩寵を媒介すると早くから考えられていた。その後、苦しみながら神に命をささげる殉教にも受難と同じ価値があると考えられるようになり、聖人の遺体、聖遺物にも恩寵を媒介する力が認められていった。13世紀には聖遺物と司祭の仲介によって聖体がキリストの真の肉と血となるという聖体神学が確立する。」…はいはい、なるほど!
「聖人崇敬は2世紀半ば頃にローマ帝国におけるキリスト教の迫害で命を落とした殉教者の遺体を信徒が手厚く葬ってその生涯と徳をたたえ、信仰生活の模範として仰いだことに始まる。信徒たちは聖人の命日に墓に集まり儀式を執り行った。やがて殉教者の遺体を中心に聖堂が建立されるようになった。4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教となってのち、殉教者や神意にかなった生き方を貫いたとみなされる聖職者や信徒に、死後「聖人」の称号が与えられるようになった。そして聖人とその遺物に加護と神への取り次ぎを求める様々な宗教実践が形成されていった。これには日々の願掛け、治癒の奇跡などが含まれる。」…うんうん、わかります。
で、なんでギリシャ神話の登場人物がキリスト教(当然カトリック)の聖人扱いになるのさ?(笑)