- 2023-3-17
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★★★オストリッツ Ostritaz -6- からの続きです
行きは修道院の閉館時間に間に合うように急いでいたので、オストリッツの町は真直ぐ通り抜けましたが、帰りはゲルリッツ行きの列車まで少し時間の余裕があるので裏通りなども覗いてみます。
グスタフ・アドルフ教会
Kosciol p. w. Gustawa Adolfa
Gustav – Adolf kostel
1886年から 1890年にかけて建設されたルター派教会。グスタフ・アドルフ・ヴェルク(Gustav-Adolf-Werk)のおかげで、教会の建設が可能になった。聖別は1890年9月15日に行われた。教会はネオ・ゴシック様式で建てられている。ツィッタウのシュスター社がオルガンを製作した。教会の隣には、オストリッツのプロテスタント学校もあった。12使徒の祭壇は、クネヴァルデ(Cunewalde)の教会から来たものである。1976年から 1979年にかけて、教会は改修された。1980年、塔に新しい銅の屋根が付けられた。
1980年代には、この教会で地元の人による平和祈願が行われ、1989年の共産主義崩壊の重要な推進力となった。(教会の説明版より)
聖母マリア被昇天教会(Mariä Himmelfahrt)
マリア被昇天教会は、ザクセン州ゲルリッツ郡の町オストリッツにあるローマカトリック教会である。マリアの天への被昇天にちなんで名付けられたこの教会は、ドレスデン・マイセン教区バウツェン教区のツィッタウを拠点とする聖マリア教区に属している。ドレスデン・マイセン教区で現存する最古の教会のひとつであるこの教会堂は、登録番号09228196として建築物リストに登録されている。教会はオーデル・ナイセ自転車道(D12)上に建っており、自転車道教会(Radwegekirche)に指定されている。(独語 Wikipedia)
この教会は 13世紀前半に建てられ、当初は聖なる使徒ペテロとパウロの庇護を受けていた。1346年、シトー会のザンクト・マリエンタール修道院がこの教会を取得した。フス派の戦争で、1427年に教会はフス派によって破壊された。その後、何度かの火災を経て、17世紀初頭から現在の教会形態となった。
何世紀にもわたって、教会は聖マリエンタール修道院の庇護を受け、プラハ大司教区に属していた。そのため、宗教改革の時代もカトリックの信仰は途切れることがなかった。1784年、教会の所属がプラハ大司教区からバウツェンを本拠地とするァウジッツ使徒行政区に変更された。
1921年、16世紀の宗教改革で消滅したマイセン教区がバウツェンを本拠地として再興され、以後オストリッツもこれに属する。1979年、ドレスデン・マイセン教区に改称された。2012年、オストリッツが所属していたツィッタウ教区が解散し、バウツェン教区に合流した。2016年5月21日、サイクルルート教会に指定された。2019年7月7日より、同教会はツィッタウを拠点とする聖マリア教区に属し、オストリッツの被昇天教区はこの日解散となった。
ゲリラ豪雨が通過した後なので抜けるような青空が広がっています。どんより曇った日と晴れた日では町の表情も大きく変わりますね。久しぶりに子供のはしゃぐ声も聞こえます。
「Gasthof zum Löwen」・・・マルクト広場に面した外壁はリノベーションされていますが営業はしていないようです。
しかし、開いている店が無いな~・・・と思ってたら、有りました!肉屋!嬉しくなって、今夜、ホテルの部屋で一杯やる時のつまみにちょっと買い込みます!
駐在員の奥さんが、肉屋の店舗で、自分の後ろに長蛇の列ができてもお構いなく「Schinkenwurstを2枚、Bierwurstを3枚、Gekichter Schinkenを 2 Sheiben、え~っとそれから・・・」と出来るようなったら第一関門クリアです。ドイツ語の話ではなく「度胸」の話です(笑)ここには、この時間帯、客は自分だけなのでテストにはなりませんが(笑)