誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(69)★★ シュテンダール Stendal -2-

★★ シュテンダール Stendal -1- からの続きです

最初に私がこの町で一番印象に残ったシーンをアップしておきます。St.Marien Kirche(聖マリア教会)の夕景です。この町は周辺の町を訪問する為の拠点として泊まったので、早朝にホテルから駅まで歩き、夕方にまた駅からホテルまで歩くという日々だったのですが、夕方戻ってきた時に私を迎えてくれるこのマリア教会の夕景・・・夏時間の 21:00頃、陽が落ちる直前の夕陽が教会の西の面を照らし、なんとも荘厳な光景なのです。この教会を設計した人はきっとその効果を計算に入れていたことでしょう。下の銅版画では、2つある双塔の教会のうち左にあるのがそれです。

曇った日にはこんな感じなんですけどね(笑)手前にあるのは Rathausです。この写真では目立ちませんが、向かって右手に見える煉瓦造りの建物の前には「ローランド」像があります。独語 Wikipediaによれば「ローランドは、素手の剣(処刑人の剣)を持った騎士の像で、都市権の象徴とされています。そのため、ローランドの像は、市場の広場や市庁舎の前に立っており、特に北ドイツや東ドイツの都市で多く見られます。このほか、中欧のクロアチアやラトビアにも像があり、ブラジルやアメリカにもレプリカがあります。ローランドの彫像はほとんどが砂岩でできています。」とあります。

歴史

12世紀、現在の聖マリア教会の場所にロマネスク様式の バシリカが建てられ、その調度品の一部が保存されている。14世紀後半には、二重塔のファサードを持つ西側の建物が増築され、塔が長くなった。1420年、聖マリア教会は後期ゴシック様式の ホール教会として再建が始まった。南側にはパラダイスと呼ばれるポーチが建てられた。以前のロマネスク様式の建物は数年後に取り壊された。教会は1447年まで丸天井だった。1470年から1473年にかけてマリア礼拝堂が建設され、1471年には主祭壇が建てられた。宗教改革後、1538年にマルク・ブランデンブルク(ブランデンブルク辺境伯領)の聖マリア教会で最初のプロテスタントの説教を行ったのは、長老ユストゥス・ヨナスであった。塔は16世紀に完成した。1580年には天文時計が設置された。聖マリア教会はハンザ商人の主要な教区教会であった。
三十年戦争の間、聖ヒエロニムスの祭壇画はアルブレヒト・デューラー作と信じられて接収された。実際はオランダ人画家ヤコブ・コルネリス・ファン・ウーストサネンによるもので、現在はウィーンの美術史博物館に所蔵されている。
1725年頃、シェーネベック 財団に属していたシェーネベックの図書館は、聖マリア教会の西側にある聖具保管室の上の丸天井に収容され、現在もそこに存在している。1794年、極楽浄土(パラディース)は取り壊され、1420年の砂岩のレリーフが門の上に置かれた。1834年~1844年、1965年~1971年に大修理が行われた。1995年からは、屋根が銅で覆われ、いくつかの鐘が修復され、窓がはめ直された。(Wikipedia

★★ シュテンダール Stendal -3- に続きます

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