誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(39):★★★アムト・ノイハウス Amt Neuhaus -3-

★★★アムト・ノイハウス Amt Neuhaus -2-からの続きです

いくつかの集落の集合体としてのアムト・ノイハウスですが、その名前にもなっている集落がノイハウス(Neuhaus)、その中心にはファッハヴェルクの教会があり、一軒の居酒屋(兼宿屋 Gasthof)があります。高齢の女将さんが独りで切り盛りしており、私が訪問した 2017年 10月 21日には宿は営業しておらず、居酒屋だけとなっていました。

このおばあちゃん、ネットで見つけた 2019年 8月 13日付の大衆紙 BILDの記事によると「71年間、エルベ川沿いのノイハウスの宿屋「Zur Börse ツア・ベルゼ(証券取引所)」でビールをを注いできた、ドイツで最も長く働いできた居酒屋の女主人、ベルゼばあちゃん」(Seit 71 Jahren arbeitet „Oma Börse” im Gasthof „Zur Börse” in Neuhaus an der Elbe (1140 Einwohner) und ist damit Deutschlands dienstälteste Kneipenwirtin.)として知られていた女性だったのです。

Von Wolkenkratzer – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0,


↓↓クリックするとスライドショーになります。ドアの前に立っているのは元リューネブルクし開発局長のDützmannさんと奥さん。なお店の名前の「Börse」は「ベルゼ」より「ボェルゼ」の方が少しだけ原音に近くなりますが(Dömitz ドェーミッツとしたように)、所詮はカタカナでドイツ語を正確に表現するにはムルがあるので「ベルゼ」としておきます。

意味は「(証券)取引所」という意味で、ドイツではフランクフルトやハンブルクのが有名です。交易が活発な場所が発展していった結果だと思いますが、普通は大都市にあります。何故こんな田舎町にある居酒屋(兼宿屋)が「Börse」と名付けられたのか・・・ちょっと興味のあるところです。

また、こういう店はドイツ語で Gasthofと表現されますが、一階に飲食ができる部屋があり、二階に宿泊用の客室がいくつかあります。シャワーやトイレは廊下で教頭というところも多いです。英語でいえば「Inn」に相当すると思われます。これを「宿屋」と訳すか「居酒屋」と訳すかは微妙ですが、オーナーも高齢化して「宿泊業」のほうはやめてしまった店も多いようです。こういうのが減っていくのは止められない流れのようですが、残念ではあります。

2017年 10月 21日(土曜日)、30年前に私が工場建設の為にリューネブルクに駐在していた時の市当局のカウンターパートナーだった当時の開発局長 Dützmannさんと奥さんとで、旧東独をドライブしていました。彼は壁が崩壊し、まだ旧東独政府があった時代、その後統一され、この地域がリューネブルク郡に再帰属することになった時、そしてその後も、リューネブルク市として復興に手を貸していた時代の担当者でもあったのです。彼にとっては 30年来の馴染みの居酒屋だったのです。

「ZEIT ONLINE」の 2018年 4月 16日の記事を訳してみます。

最後のビールまで

どこの国でも、村の居酒屋はスタッフやお客さんが足りずに閉店していきます。ノイハウスでは、87歳の老人が毎日店を開けています。最後に誰かが引き継ぐまで。Neuhausの Anna Sprockhoff氏によるレポートです。

ノイハウス村では、87歳のベルゼ・インの女主人を誰もが知っている。彼女の名前はヒルデガルト・シュヴァインスベルク、人によってはオマ・ベルゼと呼んている。© Schulze

月曜日、教会の鐘が4時半を告げる頃、ヒルデガルト・シュヴァインスベルクは、村で最も古い居酒屋で昼休み後の最初のビールを注ぐ。87歳の女将が 4時ちょうどにドアを開けると、4時半前に常連客のリュディガーさんがビールを飲みに来た。彼は隣の部屋でタバコを吸い、彼女は蛇口の後ろに立ってビールが落ち着くのを待つ。誰も話をしていないし、音楽も流れていない。唯一の音は、古い壁掛け時計のカチカチという音だけ。

紫色のタートルネックのジャンパーの上に白いエプロンを羽織ったヒルデガルト・シュヴァインズベルクは、カウンターの後ろに立ち、前かがみになって顔に細かい線を描きながら年を重ねている。彼女はもともと背が低く、公式には 1.58メートルだが、80歳を過ぎた頃から腰が曲がってしまい、さらに背が低くなってしまった。カウンターの後ろの机に置いてあるカウンターブックに注文を書くために、彼女は今、つま先立ちをしなければならない。数歩しか歩けないときは、カウンターの横に置いてある歩行器に寄りかかる。

女将は素早くタップして、完璧なヘッドを持つビールを出してくれる。グラス 1杯の値段は 1.30ユーロで、何年も同じ値段である。ヒルデガルト・シュバインズベルクは、もっと高くなる可能性があることを知っている。しかし、彼女は昔からパブでお金を稼ぐことにはこだわっていない。「私にはこれが必要なんだ 」と、「人が必要なんだ 」と。

80年以上の歴史を持つ家

この証券取引所という名前の居酒屋は、ニーダーザクセン州とメクレンブルク・フォアポメルン州の境界にある人口 1,500人の村、ノイハウスの真ん中にある。家の前には白いフェンスが立ち、入り口には 2本の菩提樹が並んでいる。ダイニングルームには、女将が 100年前の状態をほぼそのまま維持している。バーカウンターとその前に置かれた 4つの使い古された木製のスツール、手回しのテーブルと椅子、窓の前のレースのカーテン・・・。

ノイハウスの Die Börse(「証券取引所」という名前の宿屋・居酒屋) © Philipp Schulze

この宿( Gasthof)は、80年以上にわたって彼女の家であり、彼女の世界である。彼女は 1930年 12月 4日にこの地でヒルデガルト・デュアコープとして生まれ、第二次世界大戦、ドイツ民主共和国、統一ドイツ、そしてリューネブルグ郡への再編入を経験し、3人の子供を育て、2人の夫と生き延びた。人生で一度だけ、2番目の夫と一緒に 10日間の保養地で過ごしたことがあるが、それ以上に長くこの店を離れたことはない。

ノイハウスでは、ほとんどの人がベルセの女将を知っている。ヒルデガルト・シュヴァインスベルクとしてではなく、オマ・ベルセとして。彼女がいない店は誰も想像できないほど、ここに長く居る。それなのに、店に入ってカウンターに立つ彼女を見た途端、疑問が浮かんでくる。いつまでこの状態が続くのか。

ヒルデガルト・シュヴァインスベルクも自分自身にこう問いかけている。特に、レストランに一人でいるときは、壁の時計の音が耳に入ってくる。彼女は、自分と自分の宿が永遠には続かないことを知っている。「でも、そう簡単には手放せませんよね。」特に、手渡す相手がいない場合はなおさらだ。女将さんは何年も前から人を探していたそうだ。無駄にね。だから彼女は、誰に聞かれても「私はここで頑張るわ」と言って、ひたすら前進する。

田舎の宿屋(Landgasthöfe)が死んでいく

ほとんどの近隣の村では、未来への戦いはすでに村のジャグジーに負けている。StapelのGasthof zur Krone、閉店。ZeetzeのWaldkrug、閉鎖。KaarßenのGasthof Wölper、閉鎖。古い旅館は使い物にならず、ただ立っているだけのものも多い。凍りついたように。入り口の上には名前が残っていて、窓にはカーテンがかかっていて、人はいなくなっている。

田舎の旅館が死んでいく。ニーダーザクセン州北東部のエルベ川沿いの地域だけではなく、国全体がそうである。ニーダーザクセン州では、2006年から 2015年の間に、居酒屋の 3分の 1以上が失われた。また、全国的にも、ドイツホテル・レストラン協会(Dehoga)の統計によると、居酒屋、宿屋、レストラン、スナックを問わず、年々閉店する店が増えている。Dehogaのニーダーザクセン州の地域会長であるライナー・バルケ氏は、「伝統的な村のパブは苦境に立たされています」と語る。ヒルデガルト・シュヴァインスベルクが経営しているような店は、ほとんどフォークロアのようなものだという。「シンプルに申して、将来は生き残れない。」

Dehogaによると、クラシックな村の居酒屋が消えていった理由は、客の行動の変化、コスト圧力の上昇、官僚主義の増加、スタッフ不足、人口動態の変化など、さまざまな要因があるという。バルケ氏によると、長い間、これに対抗するために、イメージキャンペーンで人々をパブに呼び戻そうとしていた。無駄にね。「もし、村のパブでまだ十分な客数があったとしても、オーナーは後継者を見つけられないか、スタッフがいない。」結果は同じだそうだ。遅かれ早かれ、この店は閉鎖される。

「私の店、私のルール」

Angezapft © Philipp Schulze

店では女将が二杯目のビールをリューディガーに次いでいた。その間、追加で4人の男たちが喫煙席に増えていた。二人はロストックから来た組立工、あとの二人はリューディガーと同じようにほぼ毎日店に来る男たちだ。ロストックの男たちはビールを注文し、常連客二人もいつものやつを注文する。ビール2杯、ボーネカンプ(リキュール)ひとつ、タバコを2箱。シュヴァインズベルクは、最初のビールを注ぐと、歩行器を押して、家の前のタバコの自動販売機に行き、10ユーロをお金のスロットに入れて、f6のレバーを 2回引いてタバコを取り出す。彼女はゲストのためにほとんどすべてのことをしてくれる。「きちんとしてくれればね」とのことだ。

87歳の彼女が、レストランで唯一の女性であることもよくあるそうだ。そして、時には大声で酔っぱらいを制止することもある。そうすると、それまでの友好的な雰囲気が一転して、必要に応じて「うるさい!」と顔に向かって言い放つこともあるの。「私の店、私のルール 」では、「受け入れられなければ退場 」となるのだ。

両親と祖父母はすでにこの宿屋を営んでいた。ヒルデガルト・シュヴァインスベルクは、父の死後、16歳でこの仕事に加わり、そこで自己主張をすることを覚えたのだった。彼女にとっては、「証券取引所」という名前のこの店以外の選択肢はなく、アビトゥアを取ることは考えられなかったという。1959年に正式に経営を引き継いだ彼女は、自分の未来が村の居酒屋にあると信じて疑わなかったそうだ。

ドイツ民主共和国の時代、ヒルデガルト・シュヴァインスベルクはコミッションエージェントとして国営の小売店チェーン(Handelsorganisation)に参加しなければならなかった。30年間、彼女は決まった商品を決まった価格で販売していた。「49ペニーのビール 」と、はっきり覚えている。「あの頃は毎日夕方になると満員だった。」 共産主義が崩壊した後は、お客の数は減ったが、生きていくには十分だった。

そして死が訪れた

ヒルデガルト・シュヴァインスベルクは 2度目の結婚をして、夫と一緒にこの店を経営していた。1998年に彼が亡くなると、彼女は娘と一緒に続けた。3人の子供のうち真ん中の子は、店で Bauernfrühstück, Sülze, Sauerfleischなどを作っていた。彼女はいつか事業を引き継ぎたいと思っていた。それは当然のことであり、「証券取引所」の見通しでもある。

しかし、そこに死が訪れた。5年前、82歳だったヒルデガード・シュヴァインズベルクの娘が亡くなった。一度は廃業も考えたが、断念した。彼女は、「証券取引所」のない世界を想像することができなかった。その代わりに、料理人がいなくてもできる料理として、「暖かいボックヴルスト(茹でソーセージ)」というメニューを用意した。

外は暗くなり、店ではロストックの男たちが 5杯目のビールを注文し、さらに 3人の常連客がやってきて、4人の老紳士がソファのあるテーブルに座り、パイプやタバコをふかし、ビールを飲み、トランプをしている。禁煙室では、ちょうど地元のサッカー部の部長たちが常連のテーブルに集まっていて、みんなでカウンターを一度叩いて挨拶をしている。女将はうなずく。リュプツァーを 5杯、モラヴィアを 1杯注いでいる。

オマ・ベルゼはお客様のために、「きちんとしてくれるなら」何でもします。© Schulze

ヒルデガルト・シュヴァインスベルクは、どんなに誘われても、決して酒席には参加しない。かつては、ペパーミントのリキュールを自分で注ぐこともあったが、それももう昔の話。お店にいるときは、合間に水やお茶を飲むそうだ。店の状況をちゃんと把握しておきたいという。今ではこれまで以上に・・・

苦労の多い仕事

ヒルデガルト・シュヴァインズベルクにとって、仕事はますます困難になってきている。最近は特にそう感じるそうだ。彼女のお手伝いは 4週間前から体調を崩しており、代わりの人/はがまだ見つかっていないという。水曜日以外は毎日営業し、朝は 4時間、夜は 6時間、7時間、時には 8時間、一人でカウンターに立っている。夜遅くに自宅アパートへ向かう廊下の階段を上ると、足が重い。「疲れ切っちゃうのよ 」と彼女は言う。しかし、翌朝、彼女は必死になって起き上がる。「証券取引所」が待っている。

もはや、店を継いでくれる人がいるとは思っていない。「今時、こんな薄給で骨の折れる仕事をしたい人がいると思う?」と言うと、「若い人たち?」ヒルデガルト・シュヴァインスベルクは、彼らには期待していない。「彼らは甘やかされていて、電話で送り合うメールに誘惑されていて、もうそれをやり遂げることはできない。」

お客さんに「証券取引所はどうなるんですか」と聞くと、みんな困った顔をする。この店の未来を信じている人はいないようだ。この町には他にも 3つのパブがあるが、夜の 9時までしか営業していない。本物のビールが飲めるのは、おばあちゃんのベルゼの店だけ。

9時 30分、ヒルデガルト・シュヴァインスベルクがその夜最後のビールをタップする。そして、グラスを洗い、テーブルを拭き、灰皿を空にして、鍵をかける。灯りを消す前に、古い壁掛け時計を見てみた。8時 15分を示している。

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↓↓ ドイチェ・ヴェレのレポートです

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(34):★★★アンガーミュンデ Angermünde -8-でも、古くから続いた居酒屋(Gasthof:宿屋も兼ねていることが多い)が、オーナーが高齢あるいは亡くなって閉めてしまった事例について書きました。私はドイツの田舎町に行くと、好んでこの手のレトロな居酒屋に行き(複数あればハシゴし(笑))、女将さんや地元の常連客と世間話をするのが好きなんです。常連さん達も、たまには怪しいドイツを喋る珍客を「変なガイジン」的扱いで、結構暖かく接してくれて、居心地は悪くないんです。

ただ、やはり、この女将さんが引退したら、この店はどうなっちゃうんだろうなあ・・・と考えてしまいますね。ノイハウスの「証券取引所(Börse)」・・・そもそもこんな田舎の居酒屋が何故「証券取引所」なんていう名前なの?うっかり訊き忘れたこの質問をしに次回訪ねて行く時には、流石にもう廃業しているんだろうな・・・残念・・・

★★★アムト・ノイハウス Amt Neuhaus -4- に続きます

【参考】ドイチェ・ヴェレが、このビデオを題材にしたドイツ語のテストを制作しています。チャレンジしてみて下さい。

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