- 2021-12-11
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★★★アムト・ノイハウス Amt Neuhaus -3-からの続きです
このアムト・ノイハウス地区は、所属するエルベ川対岸のリューネブルク郡との間に橋がありません。そもそもそれが、ここを占領した英国軍が管理を諦めてソ連軍に割譲した原因のひとつだったわけです。現在ここには渡し船(Fähre:英語の ferry)が運行されており、数分かけて往復しています。橋を架けるプロジェクトもあったのですが、環境保護を指向する住民の反対などで頓挫しているようです。
そもそもエルベ川のような幅の広い川に橋を架けるのは大事業となるので、そう沢山の数があるわけではありません。エルベ川で数えれば「ハンブルク市内」「ラウエンブルク」「ドェーミッツ-ダンネンベルク」「ヴィッテンベルゲ」「シュテンダール」「マクデブルク」・・・旧西独と旧東独と間には「ドェーミッツ-ダンネンベルク」の道路橋が再建されるまで一本も架かっていなかったのです。
そこを埋め合わせているのが渡し船(Fähre)です。ドイツが東西に分かれていた時代には往来自体が大きく制限されていたので「シュナッケンブルク(Schnackenburg – Cumlosen)」に一か所しかなかったのですが、壁が崩壊して直ぐに、追加で3本の航路が開通しました。地図には印が付いていませんが「Blechede」の部分にも運行されています。ノイハウスと対岸のリューネブルク郡を結んでいるのは、一番左手(下流)の青いマークで、Darchau(旧東独側)-Neu Darchau(旧西独側)が船着場です。↓↓クリックすると拡大します。
船の構造はシンプルで、前後に船着場に接岸し、そのまま車を載せたり降ろしたりするランプがあり、ちょっとした遮断機が付いているくらいです。船は転回して方向転換をせず、単に往復運動をするだけなので、車は乗り込んだ方向にそのまま対岸で前に進んで降りることになります。ここの Darchau-Neu Darchau間の渡し船は「Tanja」といい、船は 1959年にオランダで建造されたものです。Wikipediaによると「2007年にフェリーはエルベ川を 6万回横断した。1日平均で 495台の車が運ばれ、延べ 43万 6千人が運ばれた」とのことです。まあ、他との比較が無いので、これが多いのか少ないのかは分かりませんが・・・
↓↓クリックするとスライドショーになります
渡し船は川の水位が低くなると運行不能になることがあり、その場合は隣の渡し船も同様にストップしがちです。そうなった場合は、上流まで遡って、再建された Dömitzの道路橋を渡るか、下流に下って Boizenburg経由で Lauenburgの橋を渡ることになり、数十キロメートルの迂回を強いられることになります。ということで、この Darchau-Neu Darchau間に新しい橋を架けるというプロジェクトがあるのですが、住民へのアンケートの内容不備に関する議論や、主として旧西独側(Neu Darcah側)の住民の反対でペンディングになっています。
★★★アムト・ノイハウス Amt Neuhaus の章を終わります
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。