誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(31):★★トルガウ Torgau -11-

★★トルガウ Torgau -10- からの続きです

城門をくぐって中庭に入ります。三角形に近い歪な四角形の中庭を囲むように、お城の各棟が迫ってきます。

引き続き独語 Wikipediaの引用ですが:

ヨハン・フリードリッヒ棟、または東棟と呼ばれる棟の中庭側には、代表的なデザインの螺旋階段があり、高さ約 20メートルの片持ち式の石製螺旋階段がある。

デヒオ・ハンドブック(芸術史家 Georg Dehioによる歴史的建築物等に関するガイドブック)によると、1533年から 1535年にかけて建てられたこの中庭側は、建築的には 「ドイツにおける初期ルネッサンスの主要な成果 」の一つとのことである。

螺旋階段(手すりとピラスター)はドレスデンの彫刻家によってエルベ砂岩で作られている。この建築的再解釈の構築モデルとなったのは、マイセンの後期ゴシック様式のアルブレト城にあるヴェンデルシュタインであった。

元の単語 Wendelsteinはあまり聞きなれない言葉だったのですが(検索するとグライフスヴァルトの核融合実験炉とか、バイエルンの山がヒットする)Wendeltreppeということで「螺旋階段」を意味しています。右のはマイセンのアルブレヒト城のものです。


ハルテンフェルス城の礼拝堂(城内教会 Die Kapelle 或いは Schlosskirche)は、1543年から 1544年にニコラウス・グロマンによって建てられた。ノイブルク城の礼拝堂(1543年完成)やサンクト・ヨアヒムシュタールの教会(1540年完成)の方が古いが、世界で最初の、新築されたプロテスタント教会と言われている。トルガウ城の礼拝堂は、1544年にマルティン・ルター自身によって聖別された。それまでも、そしてその後もずっと、既存の教会は宗派ごとに再奉納(別の宗派が使っていた教会を、「お清め・お祓い」をして新たにそこを使うイメージ)になったされていた。しかし、前述のデヒオは、彼らの空間概念はプロテスタントの礼拝の神学的な概念ではなく、城の建物の空間概念によって決定されていたと指摘する。この地域では、15世紀末にウォルミアステッド城(Schloss Wolmirstedt)やジーザール城(Burg Ziesar)で同様の(宗教改革前の)城郭教会がすでに建てられていた。

教会は、北棟の 3階建てのホールと一体化している。二重のギャラリーは、側面のバットレスの間にある平らなアーチの上に乗っている。講壇はホールの南側にある。1602年に作られた祭壇は、ドレスデンの彫刻家ウォルターズのサークルによるもので、1737年に居住空間に転用されたレジデンス宮殿のモーリッツ棟にある旧城内教会から来ている。家具の中には、1545年の記念プレートがあり、ヨハン・ウィルヘルム王子とヨハン・フリードリヒ王子の間にマルティン・ルターが描かれている。そのデザインは、アウグスブルクの初期ルネッサンス期のモデルに遡り、ドレスデンの鋳造職人であるヴォルフガング 1世とオズワルド 2世によって作られた。

シュマルカルデン戦争の後、1547年に城はアルベルト家(兄系)の所有となっが、それは、この戦争で敗れたエルネスト家(弟系)が、重要な財産と選帝侯の地位を譲らなければならなかったためである。16世紀にアルベルト家がドレスデンに宮廷を移してからは、城は主に行政施設として使われていた。1815年にはプロイセン王国の手に渡り、新たに形成されたトルガウ地区でプロイセンの管理下に置かれた。


★★トルガウ Torgau -12-に続きます

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