誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(31):★★トルガウ Torgau -10-

★★トルガウ Torgau -9- からの続きです

Katharinenstraßeを抜けると、いよいよお城が見えてきます。正直申すと、こういう町歩きで、お城は必ずしもメインターゲットではないのです。勿論レジデンツシュタット(領主・諸侯の居館があった町)は訪問ターゲットなので、そこに行きながら居館に行かないってちょっと矛盾してるんですが・・・お城って、割と展示物が似てるんですよね。当時使われていた食器とか、衣服とか、先祖の肖像画・絵画とか・・・あまりそういうものに造詣が深いわけではないので、つい下町歩きに流れがちです。あと、お城は高いところにあることが多いので、坂道を登るのに戦意喪失というのもありがちです(笑)ハルテンフェルス城は坂を上る必要が無いので行ってみることにします(笑)

↓↓ お城の前では昔の甲冑を身に着けた人たちが集まってなにかイベントをやっています。


お!熊がいるぞ!独語 Wikipediaのハルテンフェルス城の解説によれば「堀の中で熊を飼うのは昔からの習慣である。1425年には、この目的のために熊が捕らえられていたという。封建的な習慣は、1760年のトルガウの戦いの後に中断され、1950年代に再開された。」とのことです。

独語 Wikipediaのハルテンフェルス城の解説によれば「1485年のライプツィヒ分割で、ザクセンの支配王朝であるヴェッティン家がふたつに分かれると、それまでの本邸であるマイセンのアルブレヒト城は、ヴェッティン家のアルベルト家(兄系)の所有物となった。弟エルネスト系の選帝侯フリードリヒ 3世とその後継者たちは、その後、トルガウのハルテンフェルス城を拡張し、エルネスト家の新しい本邸とした。この城は、15世紀にヴェストファーレンのアーノルドの弟子であるコンラート・プルーガーによって建設が開始され、16世紀にはコンラート・クレープスによって継続されました。ドイツの初期ルネッサンス期の宮殿としては、完全な形で保存されている最大のものであり、ザクセン・ルネッサンス期の代表的な作品のひとつである。」

ここでちょっと気になったので、地図の上に「エルベ川沿いの都市」をプロットしてみましたははあ、なるほど・・・兄アルベルトと弟エルネストが、1485年に領土を分割(ライプツィヒの分割:後世の歴史家は「歴史に残るアホな分割」と酷評しています(笑))をする前は、ヴェッティン家の拠点はマイセンだったんですね。ドレスデンは例の大爆撃や、今日のザクセン州の州都なので錯覚しますが、当時はマイセンがヴェッティンさんちの拠点だったんです。(↓↓地図はクリックすると拡大します。)

で、兄弟が 1485年に分かれると弟エルネルト君は、トルガウ(と後に子孫がヴィッテンベルク)を拠点とする・・・これって、今日では別の州(ザクセン=アンハルト州とザクセン州)なので行政区分が違うし、鉄道でも「マイセン・ドレスデン-トルガウ」や「ヴィッテンベルク-トルガウ」なんて乗り換えがあって不便。鉄道は19世紀に入ってから整備され、ライプツィヒがハブ的な役割を果たしてる。

しかし・・・ドレスデンーマイセンートルガウーヴィッテンベルクーマクデブルク・・・って、見事にエルベ川で繋がっている!ドレスデン-マイセンが川沿いに約 20kmなので、マイセン-トルガウは約 50km、トルガウ-ヴィッテンベルクは 40km弱、ヴィッテンベルク-マクデブルクは 60km強といったところでしょうか。それぞれ意外と近いですよね!「カタリナ・ボラちゃんが、シュマルカルデン戦争の際にマクデブルクに避難した」・・・ということだけど、ひょっとしたら陸路ではなく船でエルベ川を下ったのではないだろうか?私に推理小説作家の才能が有れば、このあたりを軸になにか小説が書けそうな気がします(<ー無理無理(笑))

★★トルガウ Torgau -11-に続きます

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