誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(20):★★★プロープストツェラ Probstzella -3-

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(20):★★★プロープストツェラ Probstzella -2-からの続きです

初めてここに来た 2015年 5月は、国境駅博物館は改装中のようで閉鎖されていました。その 2年後の 2017年 5月、改めて訪問し、念願の博物館内部に入ることができました。




国境検問施設の他に、ミニ鉄道博物館としての展示もあり、1918年の第一次大戦終焉まではテューリンゲンから「バイエルン王国」への国境だったということで「Königreich Bayern」のエンブレムなどもあります。↓↓クリックするとスライドショーになります。

国境駅博物館としての展示は、ある意味期待通りでサプライズは無かったのですが、展示物の中にちょっと気になるものを見つけました。それは、「フランケンの森の国境観光」と題した展示で「Cafe BAUER LAUENSTEIN」という、国境を越えたバイエルンの町 Lauensteinのカフェの絵ハガキと、その下にある解説です。読んでみると 1963年 6月 17日(ベルリンの壁が構築された2年後。旧東独全国各地で、労働ノルマの厳しさに反発した暴動が起こった 1953年 6月 17日を記念して 6月 17日は「ドイツ統一の日とされていました)に Thüringer Watreに、Probstzellaが見通せる展望台がオープンしたとあるのですが、それを建てたのが「Probstzellaにルーツを持つ Itting社」とあることです。

次回以降で触れますが、この Itting社の創業者であると思われる Franz Ittingという人物は、想像を絶する波乱万丈の人生を送った人で、Roman Grafeという作家によって「Mehr Licht」という伝記的ドキュメンタリー映画が作られています。「Mehr Licht」とはゲーテの最後の言葉で邦訳は「もっと光を!」ですが、それがドキュメンタリーのタイトルとなっています。

ちなみにこの作家 Roman Grafeも逸話が沢山あるので、次回以降触れようと思いますが、前回の3本の動画の一番上(5分程度の短編)でインタビューを受けて喋っている人物がその人です。

さて博物館を出て道路に出ると、国境駅博物館の看板の裏側に「BAUHAUS HOTEL:HAUS DES VOLKES」と書いてあり、その向こう側になにやらこんな小さな町には不釣り合いなほどの巨大な建物が見えます。次回、ここを訪問した時の画像をアップしますが、このバウハウス建築の施主が先に触れた Franz Ittingなのです。

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(20):★★★プロープストツェラ Probstzella -4-に続きます

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