- 2020-3-28
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★★★アイスレーベン Lutherstadt Eisleben -その -1- からの続きですす。
ザクセン・アンハルトの小都市「アイスレーベン」です。ドイツ語では Lutherstadt(ルターゆかりの町)という公式の称号を与えられているように、宗教改革で有名なマルティン・ルターが生れ、没した町です。ということで、今は博物館として公開されているルターの Geburtshaus(生家)と Sterbehaus(ん?適切な和訳は?(笑))を訪ねてみました。
【Geburtshaus(生家)】
ルターの両親の肖像画(クラナッハ)
ルター生家 ドイツ語Wiki
ルター財団のサイト
観光組合のサイト
【Sterbehaus(晩年の家)】
生家にあったのと同じ構図のルターの両親の肖像画がありますが、よく見ると微妙に表情が違うようです。いくつかの模写が存在するということでしょうか?
【ルターとその擁護者フリードリヒ3世のWikiのリンク】
マルティン・ルター
Martin Luther
フリードリヒ3世
Friedrich III
【ルターの肖像画といえばクラナッハ!その親子のWikiのリンク】
ルーカス・クラナッハ
Lucas Cranach
ルーカス・クラナッハ(子)
Lucas Cranach der Jüngere
【旧東独っぽい風景】
(上)概ね綺麗にリノベーションされてはいますが、ところどころにこういう「土色の壁」の建物が残っています。旧東独時代は、こういう色の建物ばかり、それも補修が行き届かず、木製の窓枠もかなり朽ちて傷んでいたというのが印象でした。この建物は少なくとも窓枠は金属サッシのものに取り換えられているようです。
また、こういうレストランは昔ながらのドイツ料理(郷土料理)はあまり見かけず、中東・アフリカ系の移民がやっており、ドナー・ケバプなどがメジャーです。この店は旧市街への入り口にあり、結構目立ちます。店の名前は Barcelona BISTROとなっており、メニューにもパエリャやタパスなどが並んでいますが、やっているのは中東・アフリカ系の人達です。
(上)ここは先のレストランから、ルターの生家の方に少し入った裏通りですが、やはり旧東独の田舎町にありがちな、リノベーションの重点から外れたと思われる通りです。窓の文字を拡大してみると(下)手前の家は Änderungsscheiderei(服の「仕立て屋さん」と「お直し屋さん」)のようです。ドアにある名前が Monika Frankeとドイツ人っぽい名前ですが、こういうところにはトルコ人や中東系の人が働いていることが多いです。
東独ではないですが、Frankfurt(am Main)のデパート Galleria Kaufhofのスーツを買ったときに、裾直しはデパートの一角に、デパートとは別経営の「Änderungsscheiderei」が入っており、その作業だけはデパートとは別経営になっていました。そういう仕組みがあるようです。
この店の向こう側も、一階の窓の造りからは、以前はなにかの店舗だったように見受けられますが、窓の上の壁に「看板を外した形跡」があり、廃業したと思われます。その向こうは不自然な感じで空き地になっています。そのまた向こうの建物の壁がグレー単色の材料で補修されているところから判断して、廃墟化した建物を解体撤去したのかもしれません。ただ、道路に面して塀が立っているので、元々空き地だったのかもしれません。
(上)これは Eislebenから Ascherslebenに向かうバスの中から見えた風景です。なにかを採掘して処理した残土のように見えます。旧東独を鉄道やバスで移動していると、時折こういう白っぽい人工的な堆積物を見かけます。Braunkohlではなさそうだし・・・なんだろう?
ここには行ったわけではないのですが、Eislebenの西方に凄い施設があります。Solarpark Krughütte という太陽光発電所です。Wikiによると、100ヘクタールあり、最大瞬間発電量は 29.1メガワット、平均的4人家族 7,500世帯分の年間電気消費量を賄えるとのことです。写真の右方(東方)に Eislebenの町が見えますが、ルターの生家と晩年の家の距離が約 300メートルということからして、いかに巨大化がわかります。
★★★アイスレーベン の項を終わります。
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