- 2024-8-15
- ブログ
★★ ザルツヴェーデル Salzwedel -1- からの続きです
これは私が 2020年に「三十年前のドイツ」として、1989年から 1990年にかけてのドイツ統一前後の事情を書き記したものの一部です。私が最初に見たザルツヴェーデルはこんな感じだったんです。
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Bromeから東独に入り、北北東に進路をとって Salzwedelを目指します。
Bromeのすぐ南には国境の村 Zicherieがあります。ここは 1989年 11月末に早速国境のフェンスの一部が撤去され、東独側の人達の西側への往来がいち早く実現した場所です。
Salzwedelはザクセン=アンハルト州の北部にある、人口 24,000人ほどの町です。ドイツ帝国のヴィルヘルム皇帝にも献上された Baumkuchen発祥の地(*諸説あります)として知られており、西独にも輸出されていましたが、何軒かの店がその本家・元祖争いをしたゴシップも知る人ぞ知る事件のようです。
かつて東欧諸国は西側の自動車メーカーから技術供与を受けて乗用車を生産していました。
イタリアのフィアットは FIAT500をポーランドの POLSKIに、Mirafioriをソ連の LADAに、フランスのルノーは RENAULT12をルーマニア のDACIA1300に、東欧ではありませんがフォルクスワーゲンも中国のタクシー向けに SANTANAを提供していました。
東独では国産のトラバントとヴァルトブルクが主流でしたが、パトカー専用のソ連製のラダの他に、ルーマニアのダチアやチェコのシュコダなども走っていました。
Von Hajotthu, CC BY-SA 3.0, Link
最後にバウムクーヘンですが、この当時、特にスィーツには関心が薄かった私は、この町のバウムクーヘンがそれほど有名・名物だということを全く知りませんでした。
いろいろ調べると、ヴィルヘルム皇帝に献上されたとか、2軒の店が本家・元祖争いを続けてきたなど、それなりにドラマがあるようです。
↑↑ 東独時代に行列が出来ている店は今日の「Cafe Kruse」だろうと想像されます。
←日本ではドーナツ状にスライスされることが多いですが、Salzwedelでは斜めに不定形にスライスされて供されます。Advokatのような Eierlikörとともに供されるのが正統派だとこの店の女性は言っていました。
★★ ザルツヴェーデル Salzwedel -3- に続きます