- 2024-1-31
- ブログ
ブランデンブルク州の「グーベン Guben」をご紹介します。
そもそも「グーベン」なんて名前の町をご存じだったでしょうか?勿論私も、偶然通りかかるまでは聞いたこともなかった町です。というコトで、非知名度は★★★でいいしょう。もし「知ってるよ!」という方がおられたら是非その経緯や内容をお聞かせ下さい。表彰を考えます(笑)
上と右の写真は 1992年、2回目の駐在から日本に帰国する前に旧東独をドライブした時のものです。ナイセ川を挟んで向こう側・ポーランド側には立派な煉瓦造りの教会が見えています。仮説の国境検問所も、今となっては微笑ましいですね(笑)
ポーランドの国境検問は割と緩くて、日本のパスポートならここで入国申請すれば恐らくポーランド側に入れたと思うのですが、この時はそれを予定しておらずパスポートを携行していなかったのです。
残念には思いましたが、この時の残念が「いつかここにまた来てポーランド側に渡ってみよう」というモチベーションになったと思えば結果オーライでしょう!この歳になれば「気になっていたことは全部潰す」というノリです(笑)
右の写真は検問所の遮断バーの向こう側にあるいてドイツ側を撮影したものです。
東西ドイツの壁が崩壊し、長年行ってみたかったけれど容易には行けなかった旧東独地域が庭のように簡単に行けるようになってしまうと、次はその先・・・ポーランドを見たい・行きたいとなるのは自分的には自然な流れなんです(笑)特に目の前に、手の届きそうなところに見えていると尚更・・・
所謂オーデル・ナイセ線の国境でもナイセ川は川幅が狭いので、写真のように対岸の町が見えます。恐らく戦前は一つの町だったものがオーデル・ナイセ川を東独・ポーランドの国境と定めた際に町が分割されてしまったのでしょう。同様の事例にはゲルリッツがあります。
Wappen | Lage | Data |
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独語 Wikipedia
ポーランド側の Gubin に関する独語 Wikipedia
市の公式サイト
両方に跨る観光サイト
場所はベルリンの東南方向約 100km余りのところにあります。この時はベルリンに泊まっており、青いラインで示した鉄道路線上にある3つの町を訪問しました。比較的近くの大きな町としては南西方向にコットブス(Cottbus)、北の方にフランクフルト・アン・デア・オーデル(Frankfurt an der Oder)があります。
今回はオストクロイツ(Ostkreuz:東交差点)からフランクフルト経由で行きます。駅からは Jugendherberge Berlin Ostkreuz(ユースホステル)の巨大な煉瓦造りの建物が見えます。
独語 Wikipediaの冒頭には「グーベン Guben(下ソルブ語、ポーランド語グービン Gubin、1961年から 1990年までヴィルヘルム=ピーク=シュタット・グーベン Wilhelm-Pieck-Stadt)は、ブランデンブルク州ニーダーラウジッツ地方のシュプレー=ナイセ郡の Kleinstadt(小都市)というカテゴリーの町。ドイツとポーランドの国境をなすナイセ川沿いにある。ナイセ川の東側に位置する町の中心部は、1945年にオーデル・ナイセ線によって分離され、ソビエト連邦によってポーランド人民共和国の統治下に置かれた」とあります。東独最初で最後の大統領だったヴィルヘルム・ピークの出身地だったんですね。