誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(50):★★★ゲーラ Gera -6-

★★★ゲーラ Gera -5- からの続きです

引き続きマルクト広場から少し離れた周辺部を歩きます。旧東独時代に建てられたアパートがありますが、まだ社会主義が比較的元気だった時代のものでしょうか、安普請で最近になって取り壊しが進んでいるタイプとはちょっと違って見えます。が、この一角だけこういう様式の建物があるということは、この一角が爆撃被害に遭ったということでしょう。

こういう住居アパートの一階部分が店舗になっていたり、一階部分の建材が上階とは異なった石材だったり、シンプルながら玄関がちょっと装飾的だったり・・・このあたりから、もっと時代が進んで資材不足が深刻になり、コンクリート板を組み合わせた安普請(Plattenbau)が主流になる前の様式だと推測されます。

近々、このシリーズで紹介しますが Eisenhüttenstadt(アイゼンヒュッテンシュタット)という、戦後にソ連の肝いりで人工的に作られた製鉄所の町では、人口減少に伴って高層住宅の取り壊しが行われていますが、なんと新しいものから取り壊されているそうです。戦後直ぐ、社会主義がまだ元気だった時代にはしっかりした建物が建てることが出来たのですが、末期にはかなりの手抜き建築で、倒壊の危険さえあったようです。

旧東独ジョークで「サハラ砂漠が社会主義化されたらなにが起こるか?というのがあります。「最初の十年は何も起こらない。その後徐々に『砂』が不足するようになる」(笑)

↑↑ アパートの直ぐ向かいにこういうものがあります

市の公式サイトによれば「ゲーラのかつての城壁の最後の遺構のひとつがシュタットグラーベンにある。1500年頃に城壁の建設が始まった。19世紀初頭、一辺が260m×360mのほぼ長方形で、約11ヘクタールの市街地が誕生した。現在では、高さ 8mの防衛塔と片側の城壁跡が残っているだけである。1966年に初めて修復され、1983年の 2度目の修復以降は、防衛塔が一般に公開されていいる。」とあります。

★★★ゲーラ Gera -7- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る