誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(32):★★★アイレンブルク Eilenburg -9-

★★★アイレンブルク Eilenburg -8- からの続きです

結局、ゲリラ降雨は来なかったようなので、駅に向かうことにします。陽射しも戻り、町の印象も変わります。

↓↓ 空はスッキリ晴れてます。やっぱり気になるというか、そそられる社会主義建築です(笑)





↑↑ 晴れると印象がガラリと変わりますね!
↓↓ カフェらしいです。イマイチ時代に乗れていない感じの店で、多分廃業したのでは?という風情です



↓↓ さて Sバーンに乗ってライプツィヒに戻ることにします。乗ったら 20分ほど・・・夕食はあそこだ(笑)

自分で撮った写真は以上です。トルガウに行って、帰りに夕食までの時間つぶしにもうひとつ行っておくか・・・程度のノリで降りてみたアイレンブルク。実際、旧市街は小さなエリアで、さしたるモニュメントも無さそうな、大都市ライプツィヒ郊外の平凡な町という印象でした。ご紹介する価値はあるんだろうか?とも思いましたが、このシリーズはベルリン・ドレスデン・ライプツィヒのような有名な大都市は放っておいても情報はどこにでもあるので、逆にガイドブックでは取り上げられないような小さな町を紹介するのを旨としているので「まあ、サラッと触れておくか」・・・程度のレベルでした。

私の基準として「行ったことがある町」としてカウントするには「ラートハウスの写真を撮る」というのがありますが、それは一応満たしていました(笑)真面目な話、バウハウスで有名なデッサウは何度も行きましたが、あのバウハウス・デッサウ校にしか行ったことがなく、ラートハウスは見ていないのでまだご紹介できないでいます。

ところが・・・写真をご覧いただいてお分かりの様に、こんななんの変哲も無さそうな小さな町に、Wikipediaを読み進めていくと「961年に既にオットー 1世の時代に存在が記録されている」「マイセン辺境伯となってザクセンを支配する家系のヴェッティン家のゆりかご(Wiege)とされるのが、ここのアイレンブルク城(Burg Eilenburg)である」「宗教改革に時代には、あのルターが 7回も訪れ、ついの住みかと考えたこともあった」「プロテスタントの牙城となり書籍出版の拠点だった」「三十年戦争で戦死したスウェーデン国王グスタ・フアドルの遺体が国に移送される前にここに安置された」「ウェストファリアの講和の前に、ここでアイレンブルクの和約が成立し、ザクセンの戦いは終わった」「ナポレオンが諸国民の戦いの前にここで最後の閲兵式を行った」「ザクセンからプロイセンに割譲され工業化の波に乗った」「この地域では(ライプツィヒを除いて)随一の大きな都市となった」「戦前は共産党の拠点でゲシュタポからは要注意都市とされていた」「後の東独大統領となるヴィルヘルム・ピークはここで脱走した」「東独初代書記長ワルター・ウルブリヒトもここを訪れた」「東西統合後は、かつての工業は競争力を失い、廃業が相次いだ」・・・こんな歴史が有ったことを知って驚いている次第です。

こんなの、ガイドブックにも、普通の歴史の本にも載ってないからなあ・・・やはりドイツの町は今は小さくても侮れません(笑)

ライプツィヒでの夕食はこちらです!

★★★アイレンブルク Eilenburg -10- に続きます

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