誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(31):★★トルガウ Torgau -5-

★★トルガウ Torgau -4- からの続きです

かつては城塞のお濠だったと思われる緑地を町に向かって歩きます。墓地もありますがこういうものもあります。★マークと、その中に「鎌とハンマー」のマーク、下には国章か赤軍のエンブレムと思しき徽章が付いています。

旧東独時代に建てられた「ソ連赤軍の無名戦士の顕彰碑」と思われますが、こういう碑は旧東独地域には至る所にあります。これなどは一番小さい部類で、逆に一番巨大なのはベルリンのトレプトウ公園にある一連のモニュメントです。各地に建てられたこういう顕彰碑は、ゴルバチョフの時代に赤軍が撤収した後も条約で保護され、ソ連崩壊後ロシア連邦となった今もそのまま残されています。

さて、地図でいえば右手の下の方、エルベ川沿いにあるハルテンフェルス城を目指して歩いて行きます。川には「ラベ川」という表記が見えますが、これはドイツではエルベ川(Elbe)、チェコではラベ川(Labe)と呼ばれる川です。GoogleMapでは何故かドイツ領内でもラベ川という表記になっています。↓↓ 地図はクリックすると拡大します

航空写真で見るとこんな感じです。「被爆撃都市鑑定士」の私の目には、ヘビーな爆撃を受けた痕跡は無いと映ります(笑) 旧東独に有りがちな安普請の高層アパートも、この旧市街の中には見当たりません。

インド料理&イタリア料理?・・・なかなかユニークな組み合わせ(笑)

印刷屋さんのようですが・・・「Kopielski」?コピー屋さんもやってるのかな、単なる本名かな(笑)

ここからはマルクトに向かって歩いて行った時の写真を特段の解説を付けずにアップしていきます。スライドショーではなく、フル画像を並べておきます。ゆっくりスクロールして「ルネサンスの町」雰囲気をお感じください。

葬儀屋さんですね

作業着屋さん







いかがだったでしょうか?私の印象ですが・・・10月 5日の土曜日のお昼ごろなのに、人通りが殆どありません。不気味とまでは言いませんが、静かな町という印象です。旧東独時代は家屋の外壁は補修が行き届かず、ボロボロになったていたはずですが、それはほぼ綺麗に補修もされ、必要な塗装も施されています。また舗道や車道の石畳も、旧東独時代は凸凹だったり、石が無く穴が開いていたりしたものですが、それも綺麗に修復されています。ただ活気に欠けるという印象です。

ファッハヴェルクの建物が少ないというか、無いなあと思います。駅舎の解体の話の中で取り上げましたが、あの駅舎のモルタルの下はファッハヴェルクだったんですね。このあたりの家屋も、ベースはファッハヴェルクのがあるのでしょうか?ルネサンスの町?・・・う~ん・・・まあ、この辺りを歩いただけでルネサンスを感じろというのはちょっと無理がありますかね~(笑)

やがてマルクトに到着します。移動遊園地が来てお祭りをやっているようです。あ、ここに人が集まっているから街中が静かだったのか・・・というほどには集まってはいませんでしたが(笑)

★★トルガウ Torgau -6-に続きます

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