誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(15):★★コーブルク Coburg -1-

知名度の低いドイツの町を紹介するシリーズいうことで、ここまで旧東独の町を中心に採りあげてきましたが、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国(Herzogtum Sachsen-Coburg und Gotha)の「ゴータ」をご紹介した流れで、今回は旧西独バイエルン州の「コーブルク」をご紹介します。

地図でいえば、緑の部分の南に位置する方ですが(北の方はゴータ)、1918年 11月の革命で「コーブルク自由州 Freistaat Coburg」となった後 1920年に、それまでの流れであったテューリンゲン州には加わらず、住民投票によってバイエルン州に組み込まれる選択をしました。

結果として第二次世界大戦後の戦後処理では西独の町となり、東独に組み込まれたテューリンゲンの諸都市と比べて幸運だったということになります。非知名度ランクではゴータと同レベルの★★としておきます。

Wappen Lage Data

Wikipedia 日本語
Wikipedia 独語
Wikipedia 日本語 ザクセン=コーブルク
Wikipedia 独語 Sachsen-Coburg

到着したのが夕方だったので、まずはマルクトプラッツへ。奥に見えるのは Moritzkirche

到着したのは午後9時前・・・5月末なのでまだ日は落ち切っておらず薄明るい時間帯です。とはいえ、ホテルにチェックインすると流石に暗くなり、取り急ぎ街歩きに出かけます。(↓↓クリックするとスライドショーになります)

2017年は、マルティン・ルターが 95箇条の論題を発表してから 500周年にあたり、「宗教改革500年」ということでドイツ全土で記念事業が開催されていました。それに関連して様々な出版物やグッズが町に溢れていました。次回アップしますが、結構笑えるのもあります。

この記念事業は福音派(Evangelisch)が主力の町では結構盛り上がっていましたが、カトリックが主力の都市では全くと言っていいほど盛り上がっていませんでした。はっきり書いてしまうと「黙殺されたかのように」ルターのルの字も無かったと思います。考えてみれば、ルターは当時、贖宥状(免罪符)の販売などで堕落したカトリックにノーを突き付けた人物なので、それをカトリックが顕彰する道理もないということなのでしょう。

テューリンゲン諸邦は、ヴェッティン家がアルベルト系とエルネスト系に分かれたエルネスト系が分家などを繰り返して維持継続した領邦国家群ですが、エルネスト系はその福音派を支持したので、諸邦は福音派に染まっていたところ、コーブルクだけは 1920年に宗教とは関係ない(政治的な体制選択の)住民投票でバイエルン州に組み込まれることになったわけです。カトリックが圧倒的に優勢なバイエルン州の中で、このコーブルクだけは例外的に福音派の町となっているのはそのためです。(↓↓クリックするとスライドショーになります)

相棒と酒場放浪記(笑)(↓↓クリックするとスライドショーになります)

誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(15):★★コーブルク Coburg -2- に続きます。
このシリーズの都市のリストはこちらにあります。

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