- 2020-8-9
- ブログ
4月から日本人も国境でビザを発給してもらえるようになり、実質的に自由に東独に出入りできるようになりました。自分的にはもう毎週末にでも出かけたいところでしたが、家族で赴任しており、子供やカミさんが楽しめる場所というわけではなかったので、独りで好き放題に出かける訳にはいきませんでした。また、当時はデジカメはまだ普及しておらず、スマホは存在さえしていなかったので、写真はフィルムカメラで撮るしかなかったため、意外と記録写真が残っていないのが残念です。そんな中で残っているものを紹介していきます。
ひとつ不思議なのは、撮った写真の日付を確認しようと当時のパスポートをチェックしても、初めての入国や、バルト海方面への周遊ドライブ以外は東独のビザのスタンプが見当たらないのです。経緯は憶えていないのですが、6月以降は私のような外国人に対してもビザが免除になったということだったのではないかと思われます。・・・そんなことを今更、記録したり管理する無駄に東独政府が気が付いた?どうせ統一するんだから・・・?
東西ドイツ国境の周辺は Grenznahe Verkehrといって、相互の往来の条件が少し緩和される特例がありました。
壁が崩壊した時点では、左のガイドのように東西ドイツの国境を越えられる場所(検問設備のある場所)は限られていました。白い〇が道路・黒い●が鉄道の国境でした。壁が崩壊し東西の往来が自由になると、こんな数では足りるハズがありません。ということで、かつては通じていた道路を東独政府が一方的に遮断して東西の壁・フェンスを構築した場所を突貫工事で復旧させていきます。道路地図にも「新しい越境地点(Grenzübergang)を収録しています」というラベルが貼られています。
地図の下辺の真ん中やや右に Wolfsburgという地名が見えますが、これはあのフォルクスワーゲンの本社がある町です。そしてその東方に国境線が走っているのが確認できると思います。少し見辛いですが、この国境線上に「〇の中に二重線」が点在しているのが見えると思いますが、これが「越境地点(Grenzübergang)」です。
Wolfsburgの北北東に、国境線が東独側に突起のように飛び出している場所があります。下の写真はそこの越境地点と、そこにあったかつての監視塔です。
最も数が多く、クラッシックな形式の監視塔(Beobachtungsturm)は右にあるタイプ。高さが 11mあったことから「BT-11(Beobachtungsturm 11meter)と呼ばれていた。
この監視塔は下の「国境封鎖施設の図解」によれば Führungspunktとされており、担当地域の国境警備兵に指示を出す司令塔の役割を果たしていたようです。
三十年前のドイツ(60):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -2- Salzwedelに続きます