三十年前のドイツ(4):東西ドイツ国境の画像 -その1- 最北の国境線

日本にいると「物理的存在としての国境」を見ることはありません。従って初めてベルリンの壁を見た時には衝撃でしたが、それは東西ドイツ国境も同じこと。最初の駐在地はハンブルクでしたが、日本からの来客があると「リューベックという綺麗な街を案内する」という名目で、帰りには遠回りをしてあちこちの国境のフェンスを見に行ったものです。「どうだ、すごいだろう?」という興奮した私に、同僚の反応はイマイチではありましたが(笑)

二度目の駐在は1987年に国境から20kmしか離れていないリューネブルク。この時、折角なら国境を北の端から南の端まで写真を撮って記録しようと思い立ちます。まあ、志半ばにして被写体が無くなってしまうなんて思いもしなかったのですが(笑)

【最北の東西国境】

西独と東独の国境と、東西の往来の為の検問所


東西国境の最北部分は、東側の領土から伸びる小さな岬(Priwallという地名が付いています)の付け根あたり。どういう経緯で、中途半端にこの部分だけが西側の領土になったのか・・・

Travemündeというリゾート地。遠くに見えるのは Hotel Maritim

岬の西側領土にアクセス出来るのはフェリーのみ

国境は紅白に塗られた鉄の鎖で、バルト海の中に消えていく

手前(西側)はリゾートなので足跡が一杯。
向こう側(東側)は無人地帯なので綺麗な砂地

鎖の向こう側には東独のエンブレムのついた国境標示柱、遠くには監視塔が・・・

件の岬から少し南、東独側にえぐれた部分は Dassower Seeという湖。この岸辺だけが西独領だった。
これは東西統一後もそのまま引き継がれて、岸辺が州境になっている

小さな博物館のようなものがありジオラマが展示されていた。
左手前に岬があり、その向こうは岸辺だけが西独の領土だということがよくわかる

こんな感じで、岸辺は西独領、直ぐに柵があり左手は東独国境で立ち入り禁止となっている

余談ですが、なんで、こういう国境の決め方をしたんでしょうかね?「行政コスト」なんて観点からドライに割り切れば、こんな岸辺やちっぽけな岬なんて東独側にくれてやって、Trave川の中央を国境とした方が管理が簡単ではないのか?なんて思ったりします。どうしても拘りたかった理由ってなんだったのでしょうか?・・・多分、これ、どちらかのお役所に問い合わせてしまうだろうな(笑)

三十年前のドイツ(5):東西ドイツ国境の画像ーその2-に続きます。

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