- 2019-8-10
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日本にいると「物理的存在としての国境」を見ることはありません。従って初めてベルリンの壁を見た時には衝撃でしたが、それは東西ドイツ国境も同じこと。最初の駐在地はハンブルクでしたが、日本からの来客があると「リューベックという綺麗な街を案内する」という名目で、帰りには遠回りをしてあちこちの国境のフェンスを見に行ったものです。「どうだ、すごいだろう?」という興奮した私に、同僚の反応はイマイチではありましたが(笑)
【最北の東西国境】
東西国境の最北部分は、東側の領土から伸びる小さな岬(Priwallという地名が付いています)の付け根あたり。どういう経緯で、中途半端にこの部分だけが西側の領土になったのか・・・
余談ですが、なんで、こういう国境の決め方をしたんでしょうかね?「行政コスト」なんて観点からドライに割り切れば、こんな岸辺やちっぽけな岬なんて東独側にくれてやって、Trave川の中央を国境とした方が管理が簡単ではないのか?なんて思ったりします。どうしても拘りたかった理由ってなんだったのでしょうか?・・・多分、これ、どちらかのお役所に問い合わせてしまうだろうな(笑)
三十年前のドイツ(5):東西ドイツ国境の画像ーその2-に続きます。