三十年前のドイツ(66):1990年 10月 7日(日曜日) お散歩ドライブ Spazierenfahren

三十年前のドイツ(65):1990年 10月 3日(水曜日) ドイツ統一の日 Tag der deutsche Einheitからの続きです。

10月7日の日曜日に、4日前に既に「旧東独」となった地域をドライブしてみました。東独では「Bezirk」と呼ばれる単位で地方行政が行われていましたが、統一を機に概ね戦前の州(Land)に復古した格好になりました。ただ Pommern(独:ポメルン、英:ポメラニア)の東半分 Hinterpommernはポーランドに割譲されていたので、旧東独に残った西半分 Vorpommernと、Schwerinを中心とした Mechlenburgが合体して Mecklenburg-Vorpommern州となりました。

憧れの?(笑)エルベ川の向こう側は「Mecklenburg- Vorpommern州」となりました。この日はそろそろ日も短くなりつつあった10月初旬、午後から出かけることになったのであまり遠出はせず、Ratzeburg湖のすぐ東側を「旧国境」に沿って走ってみました。

もはや金網も検問所も無くなった旧国境から「Neue Bundesländer(新しく加わった州)」に踏み込んだあたりは特に西側と変わるところはなく、真新しい州の名前の看板が無ければそこが国境だったとは気が付かないでしょう。ただ、事情を知っている私としては、そこは東西ドイツが分断される前は道があったところ、数十年に亘って国境無人地帯となり、そこに再び道を通したということで、道路の舗装が真新しいことで、国境だったことがわかります。


ただ、そこに立って左右を見ると、つい最近まで国境封鎖施設の一環だった無人地帯は、金網こそ撤去されたとはいえ、監視塔や軍用車が走る道路はまだ手つかずで残っており、明らかに国境だったことがわかりるのです。

Herrnburg駅。まだ無人駅にはなっておらず駅員がいる様子。駅舎の窓枠は真新しく、西側の部材でリニューアルされたことが伺える。

LPG(Landwirtschaftliche Produktionsgenossenschaft)農業生産組合・・・旧ソ連のコルホーズという集団農場の東独版。既にその体制は崩壊していたのか、廃墟化していた。

ドアの上に「KULTURHAUS」とあります。文化+家・・・文化会館?まあ、規模からいえば公民館という感じの、村の集会所といったところでしょうか。ドアの横にメニューのようなものが見え、建物の右端にはビールの看板のようなものが見えるところから、居酒屋もやっていたのかもしれません。

すぐ下の3枚の写真はありきたりの村落ですが、地名を示す黄色い看板があり、その下にその上位の行政区域名が書いてあります。日本で例えるら「〇〇県△△郡・・・」みたいな感じです。ドイツ統一に伴い、旧東独で組み替えられた行政単位を戦前の州に戻したのですが、それに伴って看板のその部分を書き換える必要が生じました。

一部の村落では旧東独時代の行政単位名を黄色のテープで覆って一時凌ぎをやったり、まあいいかとそのまま使い続けたりと、結構バラバラでした。写真をクリックすると拡大しますので、地名看板をよくご覧ください。

Kulturhaus

ここは上の地図でいえば「リュットウ」とある地点の下に東西に延びている黄色の道路(アウトバーン24号線)を南側に渡ったあたりです。写真の奥の方にアウトバーンのレストハウスの青い看板が写っています。
この原っぱの前に立っている看板には「注意!生命の危険!立入禁止」と書いてあります。ここは国境のフェンスの内側にあった無人地帯で、かつて埋めた地雷の除去・確認作業がまだ終わっていないということだろうと推察されます。下の2枚の写真も国境フェンスの近辺です。(画像をクリックすると拡大します)

三十年前のドイツ(67)に続きます。

関連記事

ページ上部へ戻る