三十年前のドイツ(5):東西ドイツ国境の画像 -その2- 東西国境らしい風景

湖の岸辺だけが西独領という不思議な国境から少し南に下ったところに、東西国境では最も北にある Schlutup国境検問所があります。勿論ビザを持っていないと東独には入れないので、手前に車を止めて、おっかなびっくり少しだけ踏み込んでみました。

たまに西独ナンバーの車が出てくるが、東独の車が出てくるところは見かけなかった。
東西ドイツの条約で、国境近辺の往来は比較的簡単なビザ手続きで往来ができた。
但し、それは建前で、西から東はそうだったが、東から西は至難だった。

Schlutupの検問所は上の方の赤丸、そこから少し南に下ったところ(下の方の赤丸)に「いかにも東西国境」みたいな場所があります

遠くに BT11 (Beobachtungsturm11)というタイプの見張り塔があり、金網フェンスがあり、東独のエンブレムがついた国境標識柱があり、その手前に西独側が設置した “Halt! Hier Grenze“(止まれ!ここが国境)の立て札があります

ここはかつて道が通じていた場所ですが、国境が封鎖されて途切れています。

西側の人から見える面には「この向こうもまたドイツなのです」という言葉が書かれています。
この少々エモーショナルな言葉は東側からは見えません。

一方、東側から見える面には(国境警備兵くらいしか見ないだろうけど)「祖国ドイツの為に統一・正義・自由を」という西独国歌の冒頭部分が書かれています。

連載(4)と今回取り上げたスポットは上の地図の赤丸をつけた場所ですが、その南の方の青丸の二つ Ratzeburgと Möllnはちょっとした観光スポットです。

Rz insel.jpg
Von de:User:Flugbuch, Attribution, Link

Ratzeburger Dom im Sommer.JPG
Von C.J.N.L. KyllEigenes Werk, CC BY-SA 3.0 de, Link

JALのハンブルク支店長だった中村正軌氏が書いた小説。日本人が登場せず、ハンブルクや地元の地名が多く出てくるので駐在員の間で有名になった。

Ratzeburg(ラッツェブルグ)は、湖に浮かぶ島に旧市街があり、ロマネスク様式のドームは13世紀のもので北ドイツでも最古の部類に入るそうです。風光明媚な小都市ですが、個人的には東西ドイツの分断と統一をテーマとした直木賞小説の冒頭に、東独の工作員が西に潜入してくる経路としてこの湖が登場するということで特別な思い入れがあります。この小説は日本航空ハンブルク支店長が趣味で書いたフィクションですが、当時の東独の内情がよく調べられており、その後ドイツ語にも翻訳されてベストセラーになったようです。

Fachwerkhaus(木組みの家)・・・まあ、どこにでもあるといえばあるんですが、いい感じです

伝説の人物「ティル・オイレンシュピーゲル」が没した町ということから、その銅像がある。指先とつま先に同時に触ると幸せになれるという都市伝説から、この通り(笑)

Mölln(メルン)は観光地というには小さすぎる町ではありますが、伝説の悪戯もの「ティル・オイレンシュピーゲル」が没した町とされ、その銅像があります。なんのご利益があるのかはわかりませんが、その親指とつま先を同時に触るといいことがあるとか言われています。私も触ってみましたが、その後いろいろいいことが有ったのが、このご利益かどうかは定かではありません(笑)

というか、この町は非常にコンパクトで「教会・ラートハウス(市庁舎)・マルクト」がすぐ近くに接して存在しており、かつ木組み+レンガ造りの建物が特徴的で「典型的なドイツの町」として、日本から来た出張者たちに見せると納得してくれるという、駐在員としての御利益はありました(笑)

最期の青丸 Gudowは特になにがあるという訳ではないのですが、ハンブルクからベルリンに向かうアウトバーン24号線の西側最後の検問所があったので、いまもその地名が記憶に残っているのです。

三十年前のドイツ(6):東西ドイツ国境の画像ーその3-に続きます。

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