三十年前のドイツ(6):東西ドイツ国境の画像-その3- エルベ川に沿って

さて、北の端から東西ドイツ国境に沿って南下してくると、Launenburg(ラウエンブルグ)という町でエルベ川に出会います。ここから Schnackenburg(シュナッケンブルグ)まで、約100kmに亘ってエルベ川が東西ドイツの国境となります。国境線は川の中央に引かれ、東独のグレーの警備艇が頻繁に往来していました。

当時、東西ドイツ間には自由な往来はありませんでしたが、ビザを申請すれば一定の条件の下で、西独市民も東独に入国することが可能でした。しかし、このエルベ川の国境は、Lauenburgと Schnackenburg(東独側は Cumlosen)の間には出入国が可能なポイント(検問所)はありません。

川の左岸(西独側)は土手の上にサイクリングロードが整備されたりして、自転車でツーリングする人達も多いのですが、右岸(東独側)には金網フェンスが延々と続き、監視塔もあったりして、一般市民が川岸に近づくことはできませんでした。


【Lauenburg(ラウエンブルグ)】

Lauenburg Panorama 2011.jpg
Von Holger.EllgaardEigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link

西独の Lauenburgから東独の Boizenburgに通じる国境

↓↓クリックするとスライドショーになります。カミさんの友達がドイツに観光旅行に来たのに、国境を案内しています(笑)

私が住んでいたリューネブルクから車で20分くらいのところにある国境検問所で、国境が開放されてからはよく利用することになりましたが、このころは勿論 “Halt! Hier Grenze”の看板までです。直線道路の先に、緩く右にカーブしたところに東独側の検問所が有ったのですが、ここからは見通すことはできません。また現在は東独側の検問施設や建物は撤去され、整地されて跡形もありません。

【Bleckede(ブレッケデ)】

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Von Emma7sternEigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link

Bleckedeは人口一万人足らずの小さな町で、日本人観光客はまず行かないところですが、小さなお城で音楽祭が開かれたり、コウノトリが繁殖したり、木組みの家がよく保存されていたり、個人的には Bleckeder Kleinbahnという保存鉄道があったりと、なかなか魅力的な街ではあります。

Amt Neuhaus, Luftaufnahme (2014).JPG
Von WolkenkratzerEigenes Werk, CC BY-SA 4.0, Link

また、エルベ川の対岸にある Amt Neuhausというのは人口約五千人と、Bleckedeより更に小さく、交通の便も不便なので日本人観光客を見かけることはまずありません。しかしこの小さな共同体はちょっと複雑な歴史を背負っています。

Bkeckdeのエルベ川の岸辺にあった看板です。「Bleckedeもまた二つに分断されたのです」と書いてあります。

看板には「Bleckedeもまた二つに分断されたのです。私達の町(Bleckede)は無理やりに引かれたエルベ川の国境によって、20世帯と1000ヘクタールの土地を失ったのです。それまで、エルベ川が国境だったことなど一度もないにもかかわらず!Bleckedeのエルベ川の渡し船は、向こうとの間で人や土地の産物などを相互に活発に運搬していました。エルベ川の向こう側で、31の共同体から構成される Amt Neuhausは、一世紀に亘ってハノーファー王国に属するリューネブルグ郡に属していたのです。」書いてあります。

Wikipediaの地図でも、1814/1815年にウィーン会議で成立したハノーバー王国の一部として、エルベ川の右岸の小さな地域が同じ色に塗られているのがわかります。

第二次大戦後はエルベ川が国境となったため、東独の一部として存在することになりますが、1990年のドイツ再統一時に、一旦は Mecklenburg-Vorpommern(メクレンブルクーフォアポメルン)州に組み込まれた後、1993年6月以降、かつてのハノーファー王国の流れを汲む Niedersachsen(ニーダーザクセン)州に復帰が決まったのです。

Übersichtskarte des Königreichs Hannover
Von kgberger – own drawing/Source of Information: Putzger – Historischer Weltatlas, 89. Auflage, 1965, CC BY 2.5, Link

対岸には金網と監視塔がはっきり見える

簡単に亘れそうな気になってしまうくらい対岸は近い

【Hitzacker(ヒッツアッカー)】

【Aussichtsturm Kniepenberg(クニーペンベルク展望台)】
Hitzacker(ヒッツアッカー)も人口五千人程度の小さな町ですが、Fachwerkhausが良く保存され、サイクリングでエルバ川沿いをツーリングする人達の目的地の一つになっています。そこの少し下流に展望台が建てられ、エルベ川沿いのフラットで雄大な景色を楽しむことが出来ますが、東西分断時代には東独側を覗くことができる格好の場所でもありました。

Kniepenberg.jpg
Von TnemtsoniEigenes Werk, CC BY-SA 3.0, Link

Elbe (Neu Darchau).jpg
Von Frank Liebig – Archiv Frank Liebig, CC BY-SA 3.0 de, Link

三十年前のドイツ(7):東西ドイツ国境の画像-その4- Dömitz(ドェーミッツ)に続きます。

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