- 2025-2-24
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★★★ シュターフェンハーゲン Stavenhagen -5- からの続きです
さてマルクトに戻って来てどこかで昼飯をと見渡します。ホテルがありレストランもありますが「ギリシャ料理」とのこと・・・ギリシャ料理は肉料理がメインで、ちょっとシンドイな、他に選択肢はないかな?と思っていたところ、ホテルの向かい側で宗教の勧誘活動をやっていたご婦人2人と話してみたら「そこ、ギリシャ料理ばかりでなくて、いろいろありますよ!お勧めよ!」とのことで・・・ここにします。
このご婦人たちは所謂「エホバの証人(ものみの塔 Watchtower)」の信者らしい。こちらから話しかけて、いろいろご親切にドイツ語で説明してくれる、こちらも「ニューヨークにある本部の建物は見たことあるよ(嘘じゃないです:下の写真)」とか調子を合わせていると話は延々と続きそうで閉口します(笑)
一通り長々と説明を聞いて、最後は「ウチは Buddismなんだよ」とかなんとかテキトーなことを言って逃げる(笑)エホバの証人はポーランドのあちこちの町でも結構熱心に布教活動をやっていました。
まずは、これ!
ほうほう、メクレンブルグ料理があるぞ!でも・・・典型的か?どこにでもありそうだけど(笑)
地元で典型的なものって訊いたら Schnitzelを強くお勧めされたので、それにしてみます。で・・・出てきたのがこれ(笑)ギョギョッ、2枚も!軽いものをと思ってギリシャ料理を敬遠したのに(笑)
ここの女将さんはちょっとどこのものか不明な訛りがあったので「ここの出身なの?」と訊いてみたら、なんとアルバニアの人らしい。旧西独ならトルコからの Gastarbeiter、旧東独ならベトナム、最近なら中東のシリアやクルド人などが難民として多いのはなんとなくわかるけど、アルバニアは割と珍しいかもしれません。それが何で旧東独のこんな片田舎 Stavenhagenなんかに?お客は私だけのようで、女将さんも暇なのか、身の上話を始めた。ビールは2杯目だ(笑)
アルバニアはホッジャという独裁者がおり独自のスターリン主義や鎖国をしたことなどで知られています。まあ、敢えて例えれば今の金体制下の北朝鮮や、ポル・ポト政権下のカンボジアにような状況に近い感じか・・・社会主義とは言え国民の福祉などは全く顧みられず、彼女も学校には通わせてもらえなかったらしい。人生が開けたのは、ギリシャ系の夫 Aristoと結婚して、社会主義ブロックの友好国だった東独に来て、その後東西ドイツが統一されて・・・
二人で一生懸命働いたんだろうな。今では小さい町とは言え、こんな立派なホテルとレストランの経営者になり、市民からも親しまれている。アルバニアからの移民(難民)も何人か雇っているらしい。この子は自分のではなく、アルバニア系の従業員の娘なんだとか・・・おばあちゃんのように慕われているんだろうな
食事も終わって、レストランの中を案内してもらいます
「ここは Reuter家のお気に入りの店だったそうで、そこの赤い椅子のところに Fritz Reuterが座っていたらしいわよ」・・・ほうほう、なるほど!
いやあ、女将さんと話せてよかったなあ!頑張れよ!さて、腹ごなしに歩かなくては(笑)
★★★ シュターフェンハーゲン Stavenhagen -7- に続きます