- 2024-10-8
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★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -4- からの続きです
3つめは地図(クリックすると拡大します)で言えば1時の方向(1時半くらいか?(笑))にある Friedländer Torです。
これも近隣の町 Friedlandに通じる街道と市壁が交差するところにあります。
典型的な城門とはちょっと違っていて、市内側の門には特徴的な4つの尖塔がある装飾的な造りです
ノイブランデンブルクのフリードレンダー門は、14世紀前半に北ドイツの煉瓦ゴシック様式で建てられた。ノイブランデンブルクの 4つの市門の中で最も完全な状態で残っており、北東に面している。
「フリードレンダー」という名称は、主要道路(現在のB 104号線)の方向を示している。この道路は、最初は東に向かい、その後B 197号線を経由してフリードランドへと続いている。
この門はポメラニア方面の都市を守るもので、全長 88メートルの城門城として拡張された。三十年戦争中、帝国軍がこの門の隣の壁にできた破れ目から都市に侵入した後、ティリー将軍が都市側からこの門を攻撃した。
この主要門は2階建ての門塔で、市街地側には多角形の階段塔がある。この階段塔は、15世紀の第3四半期に門の市街地側全体とともに再建された。尖塔の間に小さな切妻屋根のある外門は、あまり印象的ではない 2階建ての建物でである。現在でも2つの壁によって大門とつながっている。2つの門の間のファッハヴェルク建築、かつての門番と通行料徴収人の家、そしてジンゲル番人の家は、現在では門のカフェとノイブランデンブルク市の登記所の1つとして使用されている。外門には建築事務所、大門にはギャラリーとクラブ室がある。
ツィンゲル(Zingel *)も保存されている。これはフリードレンダー門の二重門の前に位置していた。三十年戦争の直前に建てられたこの建造物は、門をさらに保護することを目的としていた。市街地側には、深い半円形アーチの壁龕があり、城壁側には射撃用の銃眼が設けられていた。かつて地下牢の壁と門を結んでいた部分は、19世紀に解体された。
ツィンゲル(Zingel ラテン語:cingulum = ベルト状)は、外側の城壁の一部であった。もともとは、前面に堤防、後方に堀を備えた防御柵を意味していた。そして、高・後期中世には、最終的に城や都市の外側の円形の壁を意味するようになった。また、ジンゲル壁とも呼ばれ、周囲の地形に適応したものもあった。
また、マントルウォール(Mantelmauer)やベーリング(Bering)とも呼ばれることが多く、この用語自体は、エッカーンフェルデ(Eckernförde)、ヒルデスハイム(Hildesheim)、フーズム(Husum)、メルドルフ(Meldorf)、ザルツギッター(Salzgitter)などの通り名として今も使われている。さらに長い名称は、ブレーマーハーフェン(「Zingelke」)、エッセン(「Zingelpfad」)、ニームベルク(「Zingelrain」)で見られる。ドイツ語圏だけでも、この起源を暗示する通りや小道は約30か所ある。この名前は名字にもなっている。
★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -6- に続きます