誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(79)★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -3-

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -2- からの続きです

この町には5泊もしたのですが、それはここを拠点に周辺の町を探訪する為だったので、あまりこの町そのものを深掘りした気がしていません。小さい町なら歩いた通りに目に映ったものを紹介していけばいいのですが、この町は朝夕の「通勤時」と最終日に少し歩いた程度なので、どのようにご紹介すればいいのかちょっと悩むところです。という訳で、時系列は狂いますが、テーマに沿ってご紹介しようと思います。

↑↑ 1990年 5月に駐在地の上司・同僚と訪れた Treptower Tor ↓↓ 2023年 5月、今回再訪した同じ場所

この町は公式に「Vier-Tore-Stadt:4つの城門の町」という称号を与えられています。まずはその4つの城門からご紹介していくことにしましょう。

ノイブランデンブルク市は、1248年1月4日にブランデンブルク辺境伯ヨハン1世によって創設された。当初は都市の防衛について問題になることはなかった。暫定的な木造の防御システム、またはノイブランデンブルクの人々がそれを建設しようという意図について初めて言及されたのは、1261年のブランデンブルク辺境伯オットー3世の文書である。彼らは防衛のために利用可能なもの、すなわち木材、土、水を使用した。土塁と堀に囲まれた柵のような防御壁が、最初の防御帯を形成した。この木製の防御システムはすぐに十分な防御力を発揮できなくなったため、後にオーク材の板の柵は石造りの市壁に置き換えられた。

しかし、その建設開始の正確な日付は伝わっていない。フリードリヒスラント(メクレンブルク)の伝統から、建設は1300年以降すぐに開始されたと推測されている。この推測は、さまざまな市門の木材の年輪年代学調査の結果によって裏付けられている。

1300年頃から、3つの石造りの二重門の建設も着手され、おそらく徐々に古い木造の構造物に取って代わっていったと考えられる。3つの古い市門のレンガ造りの建物はすべて同じ構造で、城壁のコースには、ほぼ正方形の土台の上に側棟のない門塔があり、外側の城壁のコースには、内側の門と連結壁で結ばれた外側の門があり、城門の城を形成し、すべての面が閉じられている。要塞は、ほぼ円形の二重構造の土塁と堀からなり、部分的にのみ水を流すことが可能であった。また、54の砲門(そのうち25は2015年までに再建された)が点在する石壁もあった。その後、都市の防御を強化するために、城壁に2つの塔が追加された(そのうちの1つは1899年に崩壊)。当初、都市への入り口は3つしか無かったが、交通上の理由から後に4つ目の門(「Neues Tor」)が建設された。都市の自然の防御力を高め、かつては非常に重要であった水の供給を確保し、城門の外側に水車小屋を建設できるようにするため、大規模な水道工事も実施された。

では、まず地図の上では一番下(南)にある Stargarder Torから・・・地図をよく見ると城壁の部分には「お濠」があった形跡があります。この町の4つの城門はそのお堀の「市内側」と「市外側」にそれぞれ門があり(二重門)、その門と門の間は煉瓦造りの壁で囲まれた通路になっています。この構造を「ツヴィンガー:Zwinger」と呼ぶようで、ドレスデンのツヴィンガー宮殿の語源にもなっています。

スターガルト門(Stargarder Tor)

ノイブランデンブルクのシュターガルト門は、14世紀前半に北ドイツのBacksteingotik(煉瓦造りのゴシック)様式で建てられた。この門の複合施設は、野原側に高さ18メートルの外門、市街地側に高さ24メートルの主門、両者を結ぶ全長40メートルのツヴィンガー(*1)の壁、そして東側のツヴィンガーの壁に組み込まれた木骨造りの家から構成されている。この家は、もともと税関として使用されていた。この地域は湿地であったため、他のノイブランデンブルクの城門にあったようなジンゲル(冠木)は設置されなかった。 また、もともと城壁には2つの水車小屋があったが、現在残っているのはローミューレ(皮なめし工場)だけである。 メインゲートでは、門のシステムが市壁に接続されており、歩行者の通行を容易にするために1909年に両側に開口部が設けられた。

年輪年代学の研究により、この正門が1311年に建てられたことが判明した。正門の都市側には、両手を広げた礼拝者と呼ばれる9体のテラコッタ製の像が飾られている。

中央の像の後ろには壁でふさがれた窓があり、内側からしか見えないことから、これらの像は門が建てられた後、かなり経ってから設置されたものと思われる。新門(Neues Tor)にも8体の像がある。

これらの像の象徴性や年代については何も知られていない。

外門では、ノイブランデンブルクの建築家ヨゼフ・ヴァルターが、ノイブランデンブルク門の複合施設の改修の一環としてアパートを建設し、2007年に亡くなるまでそこで暮らしていた。市内のツアー中に、正門で展示を見ることができる。

「シュターガルダー・トーア」という名称は、主要道路の方向を示しています。この道路は南に向かって、かつてのシュターガルト(現在のブルク・シュターガルト)へと続いている。古い文献では、この門は「ヴェンディッシュ(Wendische)門」または「ヴァンツカー(Wanzkaer)」とも呼ばれている。

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -4- に続きます

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