誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(73)★★ ザルツヴェーデル Salzwedel -8-

★★ ザルツヴェーデル Salzwedel -7- からの続きです

さて、駅に向かって戻ります。

Gustav Dieterichsという名前が見えます、調べてみましたがここと繋がりのある人は見当たりませんでした。

Friedrich Gartz

1819年11月28日、ザルツヴェーデル近郊のペアフェア(Perver)に生まれる。 古い貴族の家系に生まれ、作曲家、ザルツヴェーデルの文法学校の歌唱教師、ザルツヴェーデルの聖カタリナ教会の聖歌隊長、オルガニストとして活躍した。 1891年、フリードリッヒ・ガルツは、19世紀のザルツヴェーデルの音楽生活について、主に様々な音楽・歌曲協会の活動に焦点を当てた 8部構成のエッセイをザルツヴェーデル・ヴォッヘンブラット誌に発表した。 フリードリッヒ・ガルツは 1896年に亡くなり、ザルツヴェーデル市は彼の功績を称え、彼の活動場所であった聖カタリナ教会の近くに記念碑を建立した。 1886年のザルツヴェーデル市の住所録によると、ザルツヴェーデル市ブライト通り40番地の木骨造りの家がフリードリッヒ・ガルツの自宅であった。

Katharinenkirche (Salzwedel):聖カタリナ教会は、ザクセン=アンハルト州北西部にあるザルツヴェーデルの町で最も大きな教会のひとつである。 ロマネスク様式の起源を持つが、レンガ造りのゴシック様式に分類される。 守護聖人は聖カタリナ。ノイシュタットのザルツヴェーデル地区は1247年に設立された。 聖カタリナ教会は1280年に建設が開始され、ノイシュタットの教区教会として建てられたという文献的証拠がある。 14世紀の初めに増築が行われた。 身廊の東側に聖歌隊が作られ、身廊よりも高くなった。 1450年頃、教会全体がこの高さまで拡張された。 天井もアーチ型になった。 次の増築は1460年に行われた。 コルプス・クリスティ礼拝堂は1467年に完成。 南側には2階建ての聖具室が増築され、尖塔も新しくなった。 これにより教会はほぼ現在の形になった。 聖堂にある9枚のステンドグラスもこの時代のもので、そのうちの3枚が保存されている。 宗教改革がザルツヴェーデルに来て以来、この教区は福音ルーテル派である。

かつてのラテン語学校

・・・ところで、この町が2つの町から成り立っていることは市の紋章からも明らか。その区分は「Neuperver Strasse」で、南側が Altstadt、北側が Neustadt。各々に Rathausがあり Altstadtのは現在 Amtsgericht、Neustadtのは例の Hotel Schwarzer Adlerの塔のある建物・・・ま、そんな感じ!・・・では Marktplatzはどこだ?見逃したのかな?普通は Rathausの前なんだけど?

ということで検索して見たら、こんな写真が出てきました。そうなんだ、有ったんだ!しまった、見逃しちゃったな(笑)下の地図で見ると Altstadtの Rathauからも Neustadtの Rathausからも離れたところにあり、かつちょっと不自然に広い広場です。その横にあるのは「Hansestadt Salzwedel Bürgercenter」という新しくできたっぽいお役所があります。2つの町を統合した時に新しく作ったということでしょうか・・・

検索で出てきたのはこんなサイトです。ザクセン=アンハルト州の主要な都市がパノラマ写真で見ることができる優れものです!

4分ほどのコンパクトな案内動画です

10分ほどのハンザ都市としての Salzwedelの紹介動画です

Salzwedel 1990, noch DDR 1/3:画質は劣化していますが東独最後の時代の記録です

Salzwedel 1990:同じく画質は劣化していますが東独最後の時代の記録です

★★ ザルツヴェーデル Salzwedel の章を終ります

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