誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(66)★★★グランゼー Gransee -7-

★★★グランゼー Gransee -6- からの続きです

さて、ここから先は駅に戻るまでの道で見かけた写真を全てアップしておきます。この礼拝堂はやはり「かつてこの町に在った3つの礼拝所のひとつ」だったようです。門のすぐ横に博物館と並んであったんですね。

こんなところにも「Plattenbau」が・・・

以上、なんとも小さく枯れた町、グランゼーの紹介です。人口 6,000人・・・この城壁の中に住んでいる人はそのうちの何人くらいだったのでしょうか?町を歩き回る間、ついぞ人を見かけることはありませんでした。

でも調べてみれば、ルイーゼ王妃の柩がベルリンに移送される際に一泊したり、その前には「偽ヴァルデマール」にまんまと騙されたりして城門閉鎖という罰を受けたり・・・と、結構ドラマチックなことが起こっていたんですね。これだからドイツの小さな町は油断ができない(笑)

来るときに通ったこの道・・・同年代と思しき老人(笑)に「帰りによりなよ」って言われてたんだよなあ・・・と、後ろ髪を引かれながらベルリンに戻る列車に向かいます。
★★★グランゼー Gransee の章を終ります


【おまけ1】

これは前回(1992年 4月)に来た時のスナップです。場所は分かりませんが、おそらくルッピーナー門から続くルドルフ・ブライトシャイト通りのどこかと思います。魚屋ですが、旧東独の魚屋の店は概ねこういう感じで「緑色のタイルの装飾」が施されています。この頃は既に廃業していたと思われますが、営業していたとしても西側のように氷の上にふんだんに魚が並んでいるというようなことはなく、新鮮さに疑問の残る魚がパラパラと並べられていました。

店構えも装飾的ではなく、店の名前も店主の名前と思しき「MANFRED LENZ」というのが控えめに掲げられているだけです。これをググってみると・・・なんと 2019年 6月 12日まで生きておられたんですね!ローカル紙のオンライン版に死亡公告が掲載されていました。1935年生まれということで、ヒトラー政権下で子供時代を過ごし、そのまま社会主義体制に組み込まれ・・・ベルリンの壁が構築された 1961年には 28歳、崩壊した 1989年には 56歳・・・どんな人生だったのでしょうね。魚を釣る人のイラストがありますが、魚釣りが趣味だったのでしょうか・・・奥さんの Elfriedeさんを訪ねてみたい気もしています。

【おまけ2】

これも 1992年のスナップで、Granseeから Neuruppin(約 30km先)に向かう道路を 6~7kmほど走ったところにある Kellerという場所です。まだまだ復興の手は及んでおらず、道路も舗装されてはいません。

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

なお下の動画は自分の備忘録替わりに貼っておくものです。Theodor Fontane の「Wanderungen durch die Mark Brandenburg」のテレビ版 YouTubeです。いつか・・・見よう(笑)

関連記事

ページ上部へ戻る