誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(53):★★★ゼンマァダァ Sömmerda -6-

★★★ゼンマァダァ Sömmerda -5- からの続きです

旧市街の南の一角を歩きます。なんの変哲もない・・・と言ってしまえばそれまでなのですが、こういう一角を歩くのも意外と好きなんです(笑)

こういう感じで閉店してしまった、恐らく旧東独時代をも生き延びた居酒屋をちらほら見かけます。ロナの影響は勿論あるのでしょうが、それ以前でも旧東独地域には統一後に閉店したのであろう居酒屋が目立ちます。旧西独に移住して人口が減った・旧東独内でも仕事のありそうな都市部に移住した・・・地元に残ったのは年金生活者ばかり・・・とか。

居酒屋で呑むというのは、そこに行けば気の置けない旧友が集まっている・お小遣いも少しは余裕があるというような条件が揃う必要があるのでしょうが、あまり豊かでない旧東独はそこもままならないとか・・・加えて、後継者がいない・子供がいたとしてもこういう寂れた町の寂れた居酒屋を継ぎたがらない・・・という事情もあるのでしょうね。他でもこんな事例があります。この店もどうなったかなあ・・・

この店も閉店していますね。チェーン店に押されて、こういう個人商店が生き残るのは難しいのでしょう。

看板に「KFZ(Kraftfahrzeug:自動車) Sachverständigen」とあります。自動車の専門家・・・ということですが、どういう業態なんでしょうね?

Ernst Thälmannの名を冠した通りで、旧東独の町には無数と言っていいほど多く見られます。「エルンスト・テールマン(独: Ernst Thälmann、1886年4月16日 – 1944年8月18日)は、ヴァイマル共和政期のドイツの共産主義者、政治家。ドイツ共産党のスターリン化を押し進め、党の独裁体制を完成させた・・・(中略)・・・テールマン率いる共産党は、選挙や街頭闘争においてドイツ社会民主党(SPD)や国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)と勢力を争ったが、1933年にナチ党が政権を掌握すると逮捕され、1944年にブーヘンヴァルト強制収容所で殺害された。」(日本語 Wikipedia)・・・ということで、旧東独の政治体制ではレジェンド的人物でした。

St. Petri und Pauli:「1407年に建てられた教会は、同じ敷地内にある3番目の教会堂とされている。1398年に焼失した教会の後継として建てられた。三十年戦争の後、1617年にすでに教会の塔が取り壊された後、老朽化のために取り壊された。1718年に完成した新しい塔は、タワーボンネットとランタンを備えている。建物はホール構造で、高い丸アーチの窓があり、南側にはギャラリーがある。内部は、3面の回廊が身廊を囲んでいる。1698年に描かれたヨハン・クリスチャン・ラインハルトの絵が描かれた素朴な木の天井が、部屋を閉じている。天使と三位一体、そしてマルティン・ルターの姿が描かれている。」(独語 Wikipedia)
かつてこの辺りは Oberstadtと呼ばれていたようで、少しは賑わっていたのでしょうが、今日はそういう印象はありません。

Angerという地名は気を付けて見ていると結構あちこちにあります。(英語の「Anger 怒り」はドイツ語では Ärgerです(笑))「アンガー(中高ドイツ語anger、古高ドイツ語angar、原始ゲルマン語*angra-)とは、町や村の全住民が使用できる共有の草地や村の広場を指す(共有については、Allmendeも参照のこと)。これはゲルマン時代に遡り、集落の前や近くに設置されるのが一般的であった。そこでは、祭りの場、共同活動の場(村の焼き釜、共同屠殺)、また、神聖な礼拝の場、評議会の場(Thing)、ゲルマン民族の法の執行の場としての役割を果たすこともあった。また、時には行列の道やゲルマン人の埋葬地が置かれることもあった」というのが元の意味だそうです(独語 Wikipedia)

「広小路」の逆ですかね(笑)

エアフルト門は、1395年に建てられたという伝承がある。これは、門扉のゴシック様式の尖ったアーチにも裏付けされている。飾り気のない四角い塔の寄棟屋根の上には、時代の流れとともに何度も手を加えられた立派な塔屋がある。かつては、この門が街の入り口として機能していた。城門がすでに閉じている時間帯は、通過する際に手渡しでお金を支払わなければならなかった。エアフルト門は、5つの城門の中で唯一、保存されている。現在、ゼンマァダァの町のランドマークとなっているのは、最も古い建物のひとつだからとされている。そのため、1990年代に全面的な改修が行われた。1993年には扉の把手が新しくなり、1999年には近代的な機能拡張が行われた。「芸術の塔(KUNST-Turm)として設立された歴史的な城壁は、その後、超地域的な重要性を持つようになった。その後、城壁の隙間を塞いで元の状態に戻した」(テューリンゲンの観光情報サイトから

そこら辺の駐車場の向こうに 1400年代に造られた城壁が覗いています

旧市街の入り口まで戻ってきました。

★★★ゼンマァダァ Sömmerda -7- に続きます

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