誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(51):★★★グライツ Greiz -4-

★★★グライツ Greiz -3- からの続きです

白エルスター川にかかる橋を渡り旧市街に入ります。町はきれいにリノベーションされています。5月 28日土曜日の朝の9時前なんですが・・・人影がありません。人口は2万人くらいなのでそもそも大きな町ではありませんが、それにしてももうちょっと活気があってもよさそうなものと思うのですが・・・このきれいにリノベーションされた旧市街は町のヘソとして機能していないのでしょうか?

ELSTERHAUSとあります。ハンブルクの「ALSTERHAUS」を想起させますが、総合デパートではなく、衣料品を中心とした店のようです。旧東独的な表現をすれば「MODEHAUS」という感じでしょうか・・・facebookはこちらです。

「アルテ・ヴァッヘ」の名で親しまれるハウプトヴァッヘ(主警護所)は、1819年に下城の向かいに建てられた。下宮と同様、古典主義的なシンプルさを備えている。突き出た妻面には、長系ロイス公の大紋章とイニシャル「H XIX FR」(ロイス公ヘンリー19世)が描かれ、4本のドーリア式円柱が支えている。1866年までは、ロイス・グライツ軍がここで警備を行い、その頃から第一次世界大戦までは、ゲーラ歩兵連隊 96の分遣隊が活動していた。(案内板)

1918年、侯爵の退位に伴い、ハウプト・ヴァッヘはその目的を失った。その後、何度か機能が変更された。例えば、観光案内所は、1993年までアルテ・ヴァッヘに本部を置いていた。現在では、登記所の敷地内で結婚式が行われている。

小高い丘の上にあるお城がこういう感じで見えます。

ポータルに「疲れたり、重荷を背負ったりしている者は皆、私のもとに来なさい。私があなた方に安らぎを与えよう。」という碑文があるのは Stadtkirche St. Marienです。

独語 Wikipediaによると「聖マリエン教会は、テューリンゲン州南東部にあるグライツの町で最大のプロテスタント教会であり、グライツ教区の教区教会でもある。

下城(Unteres Schloss)と合わせて、旧市街の古典主義的なアンサンブルを形成している。最大 812席まで収容可能で、市内最大の集会所となっている。

現在のキルヒプラッツ 2にある教会堂の建築史は、1225年頃に初めて記録された聖歌隊塔教会に始まり、中世の新興都市の「核」をなしていた。

宗教改革が導入された後は、プロテスタントの町教会となった。1727年、大規模な改築工事が開始され、バロック建築様式の豪華な内装のホール教会(Hallenkirche)が完成し、面積もサイズも拡大された。異様に高い東塔を持つ新しい建物は 1736年に完成した。弟系ロイス公爵家の宮廷教会として使用されていたが、1802年の町火により、隣接する牧師館やキルヒプラッツ 3番地、旧市街の大部分とともに被害を受け、焼失した。

最初の再建プロジェクトの一つとして、まだ建設中であったこの教会は1805年に再奉献された。現在も廃墟となっている特徴的な塔はモデルに忠実に再建され、1827年に塔のドームが追加されて再建は完了した。」とのことです。

Tourist Informationがあるので、絵葉書とか地図を貰おうと中に入ってみることにします。

ん?Museen im Unteren Schloss?なんだ、それ・・・下の城?あ、そういうこと?

山の上にあるのは「上の城 Oberes Schloss」で、平地の旧市街にあるのが「下の城 Unteres Schloss」ということか!・・・なんてね、そのくらいは来る前に下調べしておけよな・・・自分(笑)

私は、町を初めて訪問する場合はあまり事前に下調べってしないんですよね。勿論した方が見逃しは少なくなるし、ある想像とか仮説を持って訪問して、現実に見えたものとの差分を感じる方がいいとは思うんですが・・・単にものぐさなんですかね(笑)

下の写真は「下の城」の庭園側から撮った写真のようですが、これで何故「上の城 Oberes Schloss」・下の城 Unteres Schloss」と呼ばれるかは一目瞭然でしょう。

Von Wolfgang Pehlemann Wiesbaden Germany – Selbst fotografiert, CC BY-SA 3.0 de, ソースはこちら

★★★グライツ Greiz -5- に続きます

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