- 2021-7-10
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右上の地図をクリックすると、駅を挟んで南(南東)側が「Alte Neustadt(旧・新町?)」、反対の北側が「Neue Neustadt(新・新町?)」と表記されているのが分かります。
独語 Wikipediaによると「1209年、皇帝オットー 4世と大司教アルブレヒト 1世との論争の報告書に「nova civitas」(新しい町)として初めて記載された町。1230年にはアルブレヒト1世が独立した町として市制を認めた。1680年以降、新市街はブランデンブルク・プロイセン公国に属し、当時の「Holzkreis II」に位置していました。 1812年、ナポレオン1世の命令により、「旧新町」の大部分が取り壊され、要塞とその戦略的な周辺環境を構築するために使用されました。それに代わるものとして、バルレーベンへの道に「新新町」が設立されました。1816年にマクデブルク行政区が区に分割されて以来、ノイシュタット-マクデブルクはマクデブルク市区に属していました。1886年4月1日、統一条約によりマクデブルク市に編入されました。」とあります。
独語ですが「Alte Neustadt(旧・新町?)」、「Neue Neustadt(新・新町?)」の詳細についてはリンクを参照ください。
↓↓ 駅のホームから Alte Neustadt側の駅前に見える立派な建物ですが、ちょっと残念な姿になっています。普通に考えれば、「中央駅から一駅の駅前の一等地」というところなんですが・・・
↓↓ 駅の外に出て眺めてみるとこんな感じです。う~ん・・・残念だなあ・・・
↓↓ 駅舎は 1901年の竣工で、構内の装飾も当時の様式でデザインされていますが、無人駅で売店などもある様子はなく荒れた感じです。
↓↓ 独語 Wikipediaには「ノイシュタット鉄道駅は 1873年 5月 15日に開業。駅舎は1901年に建設されたもので、かつては「ノイシュタット-マグデブルク」という名称でした。 駅舎の改築に伴い、駅はナハトヴァイデからリューベッカー・シュトラーセに移されました。同様に、障害物なしで道路を横断できるように、線路を高架にしました。2003年 11月 30日以降、Neustadt駅は Biederitzの電子信号ボックスで制御されています。2010年には、駅の前庭が改装されました。1日に約 2000人の乗客が乗り降りする。そのため、マクデブルクで最も重要な駅の一つとなっています。2014年、駅舎は個人が購入しました。現在、ノイシュタット駅にはリージョナル列車と近郊列車が乗り入れています。」・・・とあります。Wikipediaに掲載されている写真は 2013年のものですが、その時から、私が訪問した 2018年 4月までに間に荒廃が進んでいるように見えます。
日本でもローカル線で無人駅化すると駅舎は荒れて行くものですが、大都市の駅で、中心となる駅の隣駅でこういう荒れ方をする事例は見たことはありません。逆にドイツでは、特に旧東独の地方都市の中央駅でもこういう荒れ方をする事例をまま見かけます。地方都市の場合は、駅は旧市街や住宅街を避けて少し離れたところに設置されるので「駅前繁華街」というのが形成されずにさびれた一角となり、マクデブルク規模の大都市では、市内の駅であっても「移民や低所得者層が集まる地域」の駅はこういう感じになっていくことが多いようで、無人駅化するとそれが加速するように思えます。
実際、この周辺は「低所得者層・移民」が多く住んでおり、数多くの課題を抱えているようで MDR(中部ドイツ放送)のサイトにもいくつか興味深い記事が掲載されています。独語ですが、これはドイツの大都市が抱える共通課題のようなので、関心のある方は是非覗いてみて下さい。地区の画像もあります。
“Toller Stadtteil, mieses Image”: Der Kampf der Neuen Neustadt in Magdeburg”(「偉大な地区、お粗末なイメージ」:マクデブルクの新・新町の奮闘記)
“Neue Neustadt: Geschichten aus dem Magdeburger Problemviertel”(Neue Neustadt:マクデブルクの問題地区の物語)
↓↓ 260612 Spaziergang durch Magdeburg-Neustadt
↓↓ Zugverkehr in Magdeburg-Neustadt