誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(44):★★★ゾースト Soest -7-

★★★ゾースト Soest -6- からの続きです

Google Mapで「Kirche Soest」と検索してみると、直径約 1kmくらいの円形の町の中にかなりの数の教会が表示されます。全てが「尖塔があり、鐘楼があり、パイプオルガンや祭壇がある」典型的な教会というわけではなく、教団の事務所やちょっとした集会場のようなものも含まれてはいますが、それにしても多いなという印象です。

↓↓ 上の地図で「1時」の位置あたりに二つある教会のマークの右側が、この St. Maria zur Höheです。これも例の緑色の砂岩が使われています。ちなみに左側は「Ev.Kirchgemeinde Maria zur Höhe」とあるので、この教会信徒の事務局のようなものですね。

↑↑「聖マリア・ツア・ヘーエ教会は、ノルトライン・ヴェストファーレン州ゾーストにある教会で、芸術的、歴史的に重要な教会である。最初のホール教会(Hallenkirche)のひとつとされている。この教会は、ソエストの旧市街の北側、旧市街から少し離れた場所にある。また、聖マリア・ツア・ヴィース教会(Wiesenkirche)と区別するために、Hohnekircheと呼ばれている。建築物としては、構造上の配置や内装のデザインが特に優れており、また、いくつかの芸術的な珍品も収蔵している。保護対象建造物に指定されている。」

↓↓こちらはその近くにある St. Maria zur Wieseです。「プロテスタントの St. Maria zur Wiese(上の St. Maria zur Höheと区別するために Wiesenkircheとも呼ばれる)は、ヴェストファーレン州のホール教会として完璧な形をしていると考えられている。ほぼ正方形のグランドプランで、内部は優美な束柱に支えられた純粋なウィンドウフロントという印象である。内陣の高窓は床に届きそうなほど。日中、教会には光があふれているように見える。ほぼ同じ高さの 3つの身廊と非常に浅い丸天井が、部屋の大きさを均等にしている。建物の歴史は数世紀にも及ぶ。現在の教会の礎石は、1313年にロマネスク様式の前身となる教会の敷地に置かれた。外観を支配する二重の塔は、19世紀後半になってから建てられたものである。

↓↓ここにも「Krippe」が展示されています。こちらは割と典型的なもので、ヴェストファーレンの農家が舞台というものではないようです。

↓↓ St. Petri (Soest) 聖ペトリ教会(地元では「アルデ・ケルケ(Alde Kerke)」とも呼ばれる)は、「ゾーストで最も古い教区教会で、ヴェストファーレンで最も古い教会財団の一つである。8世紀末には、カール大帝のサクソン人に対する宣教に関連して、早くもこの地に教会堂が建立された。聖ペトリは、ソエストにあるプロテスタントの聖ペトリ=パウリ教区の主教会である。」とのことです。Alde Kerke・・・Alte Kircheのオランダ語訛りですね・・・この辺の方言なのか?

800年頃からの前身は、無端の内陣(クワイヤ)を持つ単館教会であった。カール大帝が北ドイツをキリスト教化しようとしたことに関連して設立された。聖ペトリはヴェストファーレン州の原初の小教区の一つである。その後、数世紀にわたって街が発展した結果、教会は狭くなり、新しい教会を建設するか古い教会を拡張する必要があった。

現在の教会は 1150年に奉献された。三廊式ロマネスク様式のバジリカとして、その本来の姿を内外にはっきりと示している。1180年頃、北側に 2階建てのポーチ、いわゆるパラダイスが増築された。13世紀には、当初の小さな後陣に代わり、ゴシック様式の大きな内陣が増設された。その後、側廊にギャラリーを設置するなど、何度か改修が行われた。14世紀末に塔はもう一階増床され、ゴシック様式の尖ったドームを戴くようになった。

↑↑ 場所は St.Patrokli Domに隣接しています

以上、いずれもかなりの歴史的背景のある教会ばかりです。北ドイツの赤茶色の煉瓦造りのゴシック(Backsteingotik)の教会建築を見慣れてきた私には、緑色の砂岩で構築された教会群が新鮮に見えました。
★★★ゾースト Soest -8- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る