誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(38):★★★ドェーミッツ Dömitz -6-

★★★ドェーミッツ Dömitz -5- からの続きです

東西国境が開き、外国人としての日本人駐在員も自由に東独に出かけられるようになって以来、この町には何度なく出かけました。残念ながら写真が殆ど残っていません。たまたま残っていた2枚の写真で思いついたことを書いてみます。撮った時期は 1997~8年と記憶しています。

↓↓ 窓枠が修理されているので廃墟化は免れた建物と思われますが、壁に風化した文字が見えます。「Sparkasse der Stadt Dannenberg, Agentur Dömitz(ダンネンベルク市貯蓄銀行、ドェーミッツ代理店)」と読めますが、Dannenbergはエルベ川対岸の旧西独側の町です。ベルリンの壁が構築された 1961年以前に、東西ドイツ間の往来は徐々に制限・遮断されていった経緯があるので、この文字が書かれたのは少なくともそれ以前と想像されます。

ドイツ民主共和国(旧東独)の建国は 1949年で、前年の 1948年には西側連合国の統治地域(その後西独に)は通貨改革でドイチェマルク(DM)が導入された・・・その時点では、西側の銀行の代理店が東側で営業できるというのもちょっと考え難い・・・となると、これは戦前に書かれたものなのでしょうか?だとすると、この写真を撮った 1998年までに、文字が書かかれてから少なくとも 50年以上の年月が経っていることになりますが、風化に耐えてそんなに長期間残るって、どんな塗料で書かれたんだろう?いろいろ想像を掻き立てられます。

こちらにも、とっくの昔に廃業したはずの、国営小売店チェーン HOのロゴが壁に残っている事例を採りあげています。が、期間の点ではその比ではありません。

↓↓ Wikicommons の Dömitzの項 にはこんな画像も収録されています。

By Oberlausitzerin64 – Own work, CC BY-SA 4.0, ソースはこちら

↓↓ これは Elbstrasseにある(あった)ファッハヴェルクの建物で「HO Fritz Reuter」という看板が見え、入口の左手にメニューを掲示する箱が見えることから、旧東独国営小売チェーンの HOが経営していた Gasthaus(居酒屋・飲食店+簡易宿泊施設)だったと思われます。梁が歪んでいることから判断して、かなり危険な状態と見受けられ、この時点では営業を停止してから久しいと見えます。

この店の名前になっている Fritz Reuterフリッツ・ロイター)は、フルネームでは「Heinrich Ludwig Christian Friedrich Reuter」といい、1810年 11月 7日シュターフェンハーゲンにて生誕、†1874年 7月 12日アイゼナハにて没したドイツの詩人、低地ドイツ語の作家でクラウス・グロートとともに、現代低地ドイツ語文学の創始者の一人とされています。

さて、この建物ですが、私が 2016年 6月 9日に訪問した時には、更に残念な状況になっていました。こうなると、もはや修復不能です。

そして、それから僅か3か月後、同年 9月 17日付のローカル新聞(Ludwigsluster Tagesblatt)の電子版には「来る月曜日、倒壊の恐れのあるファッハヴェルクの家を取り壊すために、(解体)会社が動き出しす」という記事が掲載されました。

現在、その場所(赤〇で囲んだ部分)は更地になっています。黄色で囲んだ家屋も 2015年 10月に倒壊したと記事にあり、危険な自然倒壊を未然に防ぐため、解体業者を入れて強制撤去することにしたようです、この建物の登記上の所有者は米国に居ることになっており、解体費用は税金か補助金で賄うしかないとのことです。

★★★ドェーミッツ Dömitz -7- に続きます

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