誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(33):★★★ナウエン Nauen -1-

ブランデンブルク州のナウエン(Nauen)をご紹介します。ベルリン中央駅から電車で30分前後、距離にして中央駅から西の方角やや北に約 30km、ベルリンの周囲を囲むアウトバーン 10号線の 5kmほど外側になります。訪問日は 2013年 4月 27年(土曜日)、午前中はホテルで仕事を片付け、夕方のドイツ人の友人と食事の約束までの間、ふと思いついて電車で出かけてみました。ベルリンからは近いですが、旧市街にも特段の観光スポットは見当たらず、日本人にはあまり知られているとは思えないので「非知名度は ★★★」しておきます。

独語 Wikipediaに冒頭の概要には「Nauenは、ブランデンブルク州の Havelland地区にある町である。人口約 18,000人のナウエンは小さな町であるが、総面積は 268km²を超え、2003年以降、ドイツで面積では最も大きな自治体の一つとなっている。インフラ面では、中規模の中心地(Mittelzentrum)として機能しており、ブランデンブルク州の中央執行裁判所であるナウエン地方裁判所の所在地でもある。この町は、ブランデンブルク州のワーキンググループ『Städte mit historischen Stadtkernen(Towns with Historic Town Centres)』のメンバーである。

20世紀初頭にラジオ技術の先駆者存在だったことから、『ラジオの町(Funkstadt)』と呼ばれるようになった。」とあります。日本語版はありませんが、ここでも中文はページだけはあり「瑙恩」と書くようです。

Wappen Lage Data

何故ナウエンに行ってみようと思ったのか?実は 1989年の冬からずっと行ってみたかったのです。

右の本は 1989年発行の Bertelsmannによる「Die DDR und Berlin」という本で、ベルリンの壁崩壊直後に出版されたものです。まだドイツ民主共和国(DDR)が存在していた時期で、これから併存するのか統合するのか、まだ分からなかった時期でした。

今、改めて本棚から引っ張り出し眺めてみて、ちょっと興味深いのは、地域の分け方が今日の「州(Bundesländer)になっていることです。当時の東独は 16の「Bezirk」という行政単位に分かれていたはずですが・・・もう既に「統合後はこういう地域の区分けになるんだ」ということが決まっていたのでしょうか?

それはさておき、この本はベルリンの歴史と、東独の各地域の文化や地理、特色や主要な町の紹介をしているのですが、シュピーゲル誌のように批判的に描き出すのではなく、むしろ中立的・好意的に紹介しています。

シュピーゲル誌などは、例えば東独の環境汚染をレポートするのに「WolfenのORWO」工場の汚水垂れ流し画像をこれでもか!と見せつけたりしますが、この本はむしろ観光ガイド的にいい感じの写真を数多く掲載しており、悪意を感じることは全くありません・・・が、そんな中でたまたま掲載されていたのが、下の2枚なのです。

↑↑ ナウエン(Nauen) ↓↓ ブランデンブルク(Brandenburg an der Havel)

当時、私が住んでいたニーダーザクセン州のリューネブルク(Lüneburg)は、そもそも酷い爆撃から免れたという幸運もありますが、放置すると傷むファッハヴェルクの家並みやレンガ造りのファッサードなどもしっかり手入れされた美しい町でした。ハンブルクから同じような距離にあるリューベックほどは有名な観光地ではなかったですが、それでもこんなに綺麗な町だったんです。↓↓

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Von Ralf Roletschek Eigenes Werk, GFDL 1.2, Link</anoch Zu>

勿論、壁の崩壊の頃には旧東独からもいろんな情報は入ってきていました。有名なのはライプツィヒはまだ救えるのか? Ist Leipzig noch zu retten?という、東独のテレビ局によるドキュメンタリーで、それが西側のテレビで流された時、本当に物理的に崩壊寸前のライプツィヒの惨状に驚きつつ、ああ、そういう感じなんだ・・・と理解していました。

そして同じような時期に発行された東独に関する本で「ナウエン」「ブランデンブルク」という町の、リューネブルクとはあまりにも違う写真を見た時に。それが脳裏に焼き付き、以来「いつか、あそこに行って、今日のこの姿から、どのくらい立ち直ったのか?修復がなったのか?」を見届けよう・・・そんな風に思っていたのです。出張の合間の土曜日の午後、たまたま空いた数時間で、それを確認に行く時間が取れた・・・そんなわけなのでした。この写真を見た1989年から既に 24年も経った 2013年のことです。

★★★ナウエン Nauen -2-に続きます

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