- 2020-4-30
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三十年前のドイツ(40):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 ー1-からの続きです。
検問所を通過するとほぼ一本道でボイツェンブルク(Boizenburg)に着きます。残念ながら写真が残っていません。車を運転しながら、土色の外壁がボロボロになっている家並みを見て大きなショックを受けていたことを思い出します。「国境でビザを発給してくれないかもしれない」という、なかばダメモトで出かけたのでどこに行こうというあては無かったのですが、まずはず~~っと気になっていたドェーミッツ(Dömitz)には行ってみようと東に向かいます。
リュプテーン(Lübteen)などという町は日本人駐在員にもまず知られてないのですが、たまたま私が住んでいたリューネブルク市の開発局長で、私の呑み仲間だった人が、この町の復興を支援していたので少しばかり事情を聞いており、リュプテーン側のパートナーはイェーガー(Jäger)さんという町の有力者だという名前くらいは憶えていました。
町の手前でまた人民警察(Volkespolizei)のヒマそうな警官の検問で行く先を訪ねられた時「お散歩ドライブ(Spazierenfahren)」とか適当に答えてもよかったんですが「イェーガーさんに会いに行くんです」と口から出まかせを言ってみたら、警官たちはなにを勘違いしたのか「お、それはご苦労様です!」と敬礼して見送ってくれました。よほどの有力者だったと見えます。上の写真の左手奥に「Deutsches Haus」というホテルらしき建物が見えますが、イェーガーさんはそこのオーナーでもあったのです。
さて、リュプテーンから、取り敢えずの目的地のドェーミッツを目指します。ここが何故気になっていたのか、何故いつかは行ってみたいと思っていたのかはこちらをご覧ください。
いつかこの破壊された橋の向こう側に行きたい、向こう側かこちらを見てみたい・・・そんな思いが達成された瞬間でした。感無量です。
そしていよいよ、川の向こう側から「あそこにはどんな生活があるんだろう?」と眺めていたドェーミッツに向かいます
三十年前のドイツ(40):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 ー3-に続きます。