三十年前のドイツ(41):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 -2-

三十年前のドイツ(40):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 ー1-からの続きです。

検問所を通過するとほぼ一本道でボイツェンブルク(Boizenburg)に着きます。残念ながら写真が残っていません。車を運転しながら、土色の外壁がボロボロになっている家並みを見て大きなショックを受けていたことを思い出します。「国境でビザを発給してくれないかもしれない」という、なかばダメモトで出かけたのでどこに行こうというあては無かったのですが、まずはず~~っと気になっていたドェーミッツ(Dömitz)には行ってみようと東に向かいます。

建物は概ねこういう土色で、ところどころがはげ落ちで、下の煉瓦が見えたりしています。こういう薄汚れた土色の建物は、西独ではまず見かけないので、それだけでも非常にショッキングでした。この建物は貯蓄銀行(Sparkasse )の支店です

リュプテーン(Lübteen)という町です。左手に西独ナンバーのメルセデスが停まっています。LGから始まっているので、私が住んでいたリューネブルク(Lüneburg)」の車ですね。また西側から来たワゴンが仮設の店を開いています。売っているものはバナナやオレンジなど「Südfrucht」と呼ばれていた果物が多かったようです。外貨不足でそういうものが輸入できなかったため希少価値だったのです。

リュプテーン(Lübteen)などという町は日本人駐在員にもまず知られてないのですが、たまたま私が住んでいたリューネブルク市の開発局長で、私の呑み仲間だった人が、この町の復興を支援していたので少しばかり事情を聞いており、リュプテーン側のパートナーはイェーガー(Jäger)さんという町の有力者だという名前くらいは憶えていました。

町の手前でまた人民警察(Volkespolizei)のヒマそうな警官の検問で行く先を訪ねられた時「お散歩ドライブ(Spazierenfahren)」とか適当に答えてもよかったんですが「イェーガーさんに会いに行くんです」と口から出まかせを言ってみたら、警官たちはなにを勘違いしたのか「お、それはご苦労様です!」と敬礼して見送ってくれました。よほどの有力者だったと見えます。上の写真の左手奥に「Deutsches Haus」というホテルらしき建物が見えますが、イェーガーさんはそこのオーナーでもあったのです。

リュプテーンの Deutsches Haus(2017年 10月)

オーナーの名前はイェーガーさんですが、女性の名前になっていたので奥さんか娘さんが引き継いだのかも知れません。Hotelとなっていますが、そのレストランのメニューの一部が掲示されています。これは 2017年のものですが、その価格は旧西独の約半額という感じです。統合から30年経過した訳ですが、こういう物価にも経済格差は表れているようです

さて、リュプテーンから、取り敢えずの目的地のドェーミッツを目指します。ここが何故気になっていたのか、何故いつかは行ってみたいと思っていたのかはこちらをご覧ください。

エルベ川の河畔です。右手が川、左手が東独側ですが、既に金網は撤去されています。実際にはこの左手にもうひとつ金網があって、ここまで辿り着くことがそもそも至難だったのです。

本社の労働組合委員長が駐在員の生活を視察しに訪問・・・見せたのは駐在員の生活ではなく、東西分断の象徴として、川の真ん中で分断された橋!(笑)東独によって破壊されるまで、この橋はエルベ川の向こうまで通じていた

いつかこの破壊された橋の向こう側に行きたい、向こう側かこちらを見てみたい・・・そんな思いが達成された瞬間でした。感無量です。

そしていよいよ、川の向こう側から「あそこにはどんな生活があるんだろう?」と眺めていたドェーミッツに向かいます

三十年前のドイツ(40):Erste Einreise in die DDR 初めての東独への入国 ー3-に続きます。

関連記事

ページ上部へ戻る