三十年前のドイツ(32):1989年10月下旬の状況

旧東独各地で政府サイドと民主化市民運動の対話が持たれるようになります。10日ほど前には考えられなかったことですが、東独のニュースでもその模様が報道され、テレビカメラの前で市民活動家が「旅行の自由」、「集会やデモの自由」、「報道の自由」などを求めて政府に要望を突き付けたり、批判したりするようになります。

政府も、かつては「共和国逃亡罪 Republikflucht」として重罪扱いだった西側への脱出者や、デモへの参加者に恩赦を与えると発表します。これは歓迎されますが、最近の動き以前に投獄され、釈放後も生涯監視されることになっている過去の政治犯との不公平が問題となります。

また一旦閉鎖したチェコスロバキアとの国境も再び開放し、そこからまた大量の東独市民が脱東し、西独大使館経由で西独に出国していきます。ライプツィヒでは恒例の月曜デモの規模が更に大きくなります。「足による投票」ともいわれる祖国からの脱出・移住を選択する者と、祖国に留まって改革を求める者と・・・どういう施策をとっても、そのいずれかを勢いつかせる結果となり東独政府は機能不全に陥ります。

東独政府はまた、かつては検閲でお蔵入りになった映画に上映許可を与えるなど、国民の不満を緩和するような政策を小出しにはしますが、抜本改革には程遠く大した効果はありません。1975年以来、自由ドイツ労働組合連合(FDGB)のトップの座にあり政治局員でもあった Harry Tischにも批判の矛先が向かい辞任に追い込まれ、また失脚した Honecker元書記長の妻 Margot Honecker教育大臣も辞任に追い込まれます。

また目立ちませんが、最後の 10月 31日のニュースの中で、西独野党 SPDの Vogel党首が「再統一 Wiedervereinigung」という言葉を使います。

ベルリンの壁崩壊まであと10日を切ったわけですが・・・まだ誰もそんなことを口走ってはいません。

(この項、後日補足・加筆予定です)

【1989.10.26 木曜日】

1. Telefongespräch(電話会談)
2. Reformdiskussion(改革の議論)
3. Kritik an Rechtsordnung

【1989.10.27 金曜日】

1. Amnestie
2. Appell an DDR-Bürger
3. Grundsatzpapier der DDR-CDU
4. Forderung anch Reformen
5. Grenze wird wieder geöffnet
6. Appell an DDR

【1989.10.29 日曜日】

1. Reformdiskussion
2. Gespräch mit Oppositionellen
3. Entwicklung in der DDR

【1989.10.30 月曜日】

1. Demonstrantionen
2. Vertraunensfrage
3. Oppositionsgruppe anerkannt
4. Devisendiskussion

【1989.10.31 火曜日】

1. Moskau-Reise
2. Rücktritt
3. Bericht über Rücktritt
4. Deutschlandspolitik

三十年前のドイツ(33):1989年11月上旬の状況に続きます

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