三十年前のドイツ(17):東独の国営テレビ番組 Der schwarze Kanal(ブラック・チャンネル)

英語に訳せば「ブラック・チャンネル」ということになりますが、元々は「禁じられていた西独の放送(を観る)」という意味だったと思われます。東独では建国して間もなく、西側のテレビやラジオが受信できる機器を没収し、その後も継続的・随時没収をしました。が、一方で、それで100%西側の情報を遮断できるとも考えてはいなかったと見えて、「西側のニュースを切り取って、それをディスるような解説番組」を製作していました。それが karl-Edward von Schnitzlerの Der Schwarze Kanalです。

西側のジャーナリズムが「公害問題」「失業問題」などを批判的に取り上げると、それは格好のエサとなりました。まあ、東独市民がそれをどこまで真に受けていたかは大いに疑問ではあります。最後の放送は、1989年10月30日、壁の崩壊の10日前です。役割を終えたことを敏感に感じとっていたのでしょうか?


28.08.1989


11.9.1989


9.10.1989


23.10.1989


30.10.1989 Letzte


20.09.65


22.01.73

三十年前のドイツ(18):東独の国営テレビ番組 Unser Sandmännchenに続きます。

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