三十年前のドイツ(16):東独の国営テレビのニュース Aktuelle Kamera

私が住んでいたリューネブルグは東独国境までの距離が20kmくらいと近かったせいか、テレビでは西独の番組の他に東独の国営放送を受信することが出来ました。西独のニュース番組では、毎日のように東独市民がいろいろな方法で西に脱出を試みていることを報じていましたが、東独の国営放送のニュースでは当然ながらそんなことには一切触れていませんでした。

東独国営放送ニュース Aktuelle Kameca イントロ

西独国営放送ニュース Tagesschau イントロ

二つの体制の公式ニュースが受信できた私の家のテレビですが、1989年の夏以降は何やら変な気配を感じて、夕飯時にまず19:30から東独側のニュースを見て、続いて20:00から西独側のニュースを見るというのが日課になっていました。上の動画はその冒頭部分です。東独のはもう無くなってしまったし、西独のも今はちょっとパターンが変わってしまったので、こういうのを YouTubeで見つけると、ちょっと胸キュンものですね(笑)。

東独のニュースは、言い切ってしまえば「プロパガンダ」そのもので、政府の立場をそのまま発表する感じでした。西独のニュースがどういう立場で、どこまで中立であり得たのかは、当時の私の語学力では分かりませんが、少なくとも国内外の主要な出来事を網羅していたのに対し、東独のは政府の公式発表や、国際ニュースと言っても「アフリカの友好国の元首が、東独の書記長ホーネッカーを表敬訪問した」みたいなニュースが多かったように記憶しています。

当時、ソ連のゴルバチョフが積極的に進めていたペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)、ワレサが率いていたポーランドの自由化労組「連帯」の動きなどのニュースも積極的に報道されていた記憶がありません。

下の動画は、1989年5月1日(メーデー:社会主義国では重要な休日)のニュースです。

最初に流れるシーンで「2.」とあるのは、DDR1と DDR2という二つのチャンネルの2.の方の意味かと思います。続いて時計とイントロが流れ、Angelika Unterlaufという、当時の「東独のニュースの顔」とでもいうべき女性アナウンサーが、ニュースの概要を紹介します。

この場合は、殆どが Karl-Marx-Stadt(今の Chemnitz)で開催された Junge Pioniere(社会主義少年団・・・という感じの、体制主導による少年少女組織)のニュース、続いて湾岸戦争でイランとイラクの停戦合意、ネルソン・マンデラの釈放、スポーツの結果・・・という流れです。

こちらはその2週間後、Pfingsten(聖霊降臨祭)の1989年5月14日のニュースですが、最初に来るのはベルリンでの FDJ(Freie Duetsche Jugent:自由ドイツ青年団)による「闘争デモ」の様子と、それを礼賛するホーネッカー書記長、東独建国40周年にして未来は明るいとするコメントなどがメインです。この後、体制が加速度的に揺らぎ始め、この僅か半年後にベルリンの壁が崩壊してしまう予兆は、ニュースからは微塵も感じられません。

Angelika Unterlauf

Klaus Feldmann
← Angelika Unterlaufは東独のニュースの顔のような存在でしたが、私にはこの特徴ある眼鏡の Klaus Feldmannの方が印象に残っています

三十年前のドイツ(17):東独の国営テレビ番組 Der schwarze Kanal(ブラック・チャンネル)に続きます。

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