誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(79)★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -10-

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -9- からの続きです

4つの城門、飲食事情ときて、3つ目のテーマは・・・どうしようかな(笑)撮った写真を眺めて見ると私が何に関心を持ったのかが後になって見えてくることがあるんです。それによると、どうやら「Spurensuche 痕跡探し・足跡探し」をやっていたんですね、意識的か半ば無意識的に・・・

この町は戦災で・・・というか、戦争でソ連赤軍に占領された後、報復意欲に燃えた赤軍兵士達によって町の 80%以上が焼き払われ、その後にはソ連風の「Sozialistische Stadt」というコンセプトで再建されました。そして 1990年の東西ドイツ統一以降、老朽化・劣化していたそういう建物は大規模な補修、あるいは建て直しが行われたのです。

ということで、戦後に建てられた建築物は案外そのオリジナルの姿では残っていないんですね。私はその「東独時代の建築物の Spurenshuche」というのをやっていたんです。

【Marketplatz マルクト広場】

↑↑ 画像はクリックすると拡大します。戦前にはマルクト広場には周囲から孤立する形でラートハウスが立っていました。これを含めて戦後・・・というか戦争最末期にソ連赤軍に占領された後、徹底的に破壊され焼き払われて町の80%が灰燼に帰します。

↑↑ そして戦後は「都市計画の16原則」という指針に沿ってこういう感じで再建されます。高層ビルは「HKB-Turm(Haus der Kultur und Bildung)」と呼ばれており、今はその最上階にカフェがあります。

↑↑ 今日のマルクト広場はそこから大きくリノベーションされていますが基本的な構造は変わっていません。

この写真は冒頭の廃墟を写したのと同じ場所(Marienkirche)の塔から撮ったものです。手前の空き地は現在も、廃墟となった 1945年と同じ状態です。

【Sozialistiche Bauten 社会主義風建築】

 

【HKB-Turm-Cafe 高層建築最上階のカフェ】

上や左側の版画作品は典型的な旧東独芸術のテイストです。上の版画に描かれている Marienkircheの塔はまだ修復されていないように見えます

ようこそ TURMカフェへ

第二次世界大戦後、ノイブランデンブルクの旧市街地の 80%以上が廃墟と化しました。1950年代に市街地の再建が成功すると、この地方都市は活気あふれる若い都市へと発展しました。1963年、ベルリン出身の女性建築家の設計により、文化と教育のための施設の建設が開始されました。そして、わずか 2年後には開館しました。1992年 1月まで、HKBは市の文化局の管理下にありました。HKB(文化教育会館)の敷地全体は独特なもので、社会生活の中心となるものでした。

劇場ホール、展示ホール、一般公開の図書館は、文化複合施設の一部でした。HKBの塔、または「Kulturfinger」は、現在でもノイブランデンブルク市民にそう呼ばれていますが、絵画、写真、手工芸のスタジオなどが入っていました。13階には「ワイン酒場」がありました。 非常に洗練された場所で、フランベ料理や美味しいワイン、そしてフォイヤツァングボイレが提供されていました。 14階にある 45席の「モカバー」は、ノイブランデンブルク市民や海外からのゲストに人気でした。 エスプレッソやアイスクリームサンデー、カクテルなどが提供されていました。その後、HKBは多くの楽しい時間を経験しました。残念ながら、時の流れは古い建物にその代償を強いることとなり、2012年に改修工事が始まりました。今日、新しくデザインされた Turmcaféが、ノイブランデンブルクの人々やそのゲストを、ノイブランデンブルクとトーレン湖を一望できる「文化の指」で迎えています。

Turmcaféでお客様が楽しい時間を過ごされることを願っています。

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -11- に続きます

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