誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(79)★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -7-

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -6- からの続きです

4つの城門の次は、この町の飲食事情について紹介してみようと思います。

↑↑ GoogleMapで検索してみるとこんな感じで結果が出てくるのですが、↓↓ 拡大表示するともっと出てきます。最近の旧東独地域の町では、所謂「ドイツ料理屋」が激減~絶滅してしまった感がありますが。ここは嬉しいことに店名からはドイツメシ屋と思しきものもありますね。しかし・・・評価をざっと見ると殆どの店が4点以上って・・・ちょっと甘くないかい?(笑)

5泊もしたのに、基本は朝に Stargarder Strasseを歩いて駅に向かい、夕方また同じ道を通ってホテルまで歩き、その途中でどこかで夕食を・・・みたいな生活でした。この Stargarder Strasseで目立つのは「ベトナム料理」で、少なくとも3軒あります。最近の旧東独地域・・・いや、旧西独地域も含めてベトナム料理が激増している印象があります。この経緯には理由があるハズです。

これは 1990年 5月に私と同僚で当時はまだ存在していた東独にドライブしていた時の動画の一部で、シュヴェリンの町を歩いた際のものです。アナデジ変換がうまくいかず音声は消えていますが、壁崩壊から半年後の東独の様子が記録されています。途中 00:30あたりから、ベトナム人がミュージックテープのようなものを売っている様が記録されています。東独には社会主義圏繋がりでベトナム人が数多く暮らしていたのです。同じく社会主義圏繋がりで北朝鮮からも出稼ぎに来ていた人も多く、ホテルのレストランで金日成バッジを付けたウェイトレスが給仕をしていたものです。

壁が崩壊してからは、北朝鮮はああいう国なので殆どの出稼ぎ者に帰国命令が出て国に帰ったものと思われますが、ベトナム社会主義共和国はそうでもなく、多くのベトナム人が東独に居残り、更にその一部は西独にも移っていきました。彼らはその後台頭してきたネオナチ勢力に虐待されるなど苦難の道を歩んだのですが、それも漸く落ち着き、商才のある人は雑貨商やレストランを始めます。

ドイツでアジア系の飲食店というとまずは中華だったのですが、昨今では中華はかつての勢いを失い、ベトナム料理にその座を奪われつつあるように見えます。油や醬油を多用する中華とは異なり、野菜を多く使いヘルシーな印象のベトナム料理が今の時流にマッチしているのかもしれません。また多くの中華料理店の店主は一財を為し裕福になった一方で、その次の世代は店を継がずもっと今風の仕事に就き、店の権利をベトナム人に譲った・・・などということも考えられます。多くのベトナム料理店は「ナンチャッテ寿司」も出して日本食人気にもちゃっかり便乗しているようです(笑)

これは旧西独のノルトライン=ヴェストファーレン州のメンヘングラードバッハにあるベトナム料理屋ですが、看板の「SAKA」はまあいいとして、その左にある五重塔のようなイラストは明らかにベトナムではなく日本を想起させます。

でもやっぱりメインは「フォー」なんです(笑)

↑↑ ↓↓ ベルリンにはこんな落ち着いた店もあります。中華はほぼ一様に「中華的」な店構え・店造りですが、ベトナムはかつてフランスの植民地で西洋の影響を受けたことが獲得遺伝子のように残っているのでしょうか・・・周囲の雰囲気に合わせてオシャレな店造りをするという気風も見られます。

またハノーファーの駅地下の食堂街はベトナム料理屋が実効支配しています!

ということで、初日の夜はベトナム料理です。Marktpiatzに面した角という一等地にある「Mama’s Food」という店・・・ん?ここは 1990年に来た時には、旧東独の HOが運営する東独流のファミレスがあったところではなかろうか?あの夕陽のあたるソ連社会主義風の集合住宅の写真を撮った後、ふと左を向くと大きな、少し汚れたガラス窓とその向こうには家族連れっぽい人達が食事をしていたファミレスがあった・・・そこだ!それがいまやベトナム料理屋に・・・

★★ ノイブランデンブルク Neubrandenburg -8- に続きます

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