鉄ちゃんネタ:サロンカー「なにわ」

子供のころからの「鉄ちゃん」で、中学・高校では鉄道研究同好会(鉄研)部員でした。学校のクラブというのは栄枯盛衰があるもので、メジャーな運動部でも部員が足りなくて廃部になったり、どこの学校にもあった地理歴史研究部や写真部などもいつの間にか無くなったりするようですが、「我が鉄研」はなんと創部50周年を迎えたとのことで、後輩たちが貸切列車を仕立てて、OB達も集めて記念運行をやってくれました。嬉しいことです。

創部時の初代部長は、当時高校2年生だった浜田純一さん(後の、秋入学提案で有名になった前東大総長)、私は5代目の部長でしたが、創部後初めての新入中学一年生部員でした。小学校を出たばかりの初々しい?(笑)坊主頭のチビと、ニキビ面の高校2年、3年生が同じ部室で鉄オタ話に熱中しているという、六年制ならではの和気藹々とした雰囲気でした。
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当たり前ですが、入部当時(1966年)にはアナログコピー機も、パソコンもデジタル印刷も存在せず、部誌「どんこう」は手書きのガリ版印刷でした。(ガリ版を知らない世代はこちら(笑))。今も捨てずに残してありますが、鉄筆で誤字脱字をやっちゃうと修正が面倒なことになるので、文章を推敲した上で、間違わないように丁寧に書くという訓練になっていたのかなと思います。PCでワードなどを使い始めてからは誤字脱字だらけで、お恥ずかしい限り(笑)

西岡洋さんの力作「れんらくせん」

充実した内容

1966年(昭和41年)、53年前の部誌「どんこう」

ガリ版に写真が!当時としては画期的!

西岡さんはマンガが得意(笑)

発行者に浜田純一さんの名前が・・・

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