誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(64):★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -6-

★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -5- からの続きです

引き続き街歩きを続けます。ギムナジウムがあります。ん?ここってひょっとして「あの映画の舞台」となったところでは?

「僕たちは希望という名の列車に乗った」という実話をベースにしたドイツ映画で、日本語版は、旧東独や第三帝国時代などに関する豊富な知識と深い理解をお持ちの吉川美奈子さんという字幕翻訳者によって、時代背景をご存じない観客にも分かり易い作品として提供されています。

あらすじはうっかり私が書くとかなりネタバレしそうなので、日本語 Wikipedia独語 Wikipedia)をご参照ください。また独語ですが YouTubeの予告編も下にアップしておきます。日本語のタイトルから想像できる範囲でテーマを書くとすれば「希望の持てない東独を捨てて西独行の列車に乗った」・・・ということになるでしょうか。

話はいきなり脱線しますが(・・・というかいつも脱線ばかりですが(笑))エーリッヒ・ケストナー Erich Kästnerというドイツの子供向けの作品を中心に書いた作家をご存じでしょうか?

私が子供の頃は岩波書店から岩波少年文庫として翻訳本がいろいろ出ており、一通りは読んだものです。中でも有名なのは「エミールと探偵たち Emil und die Detektive」でしょうか・・・

この物語は私の子供心にかなりのインパクトを与えたと見えて、ドイツに赴任して初めて(西)ベルリンに行った際には、地下鉄に乗っていた時「Nollendorfplatz」という駅名を見て思わず飛び降り、物語の舞台になった「HOTEL KREID」を探したりしたものです。もちろん架空の話なのでそんなホテルはあるハズもなかったのですが(笑) また、永年エミールの従姉妹「ポニー・ヒューチヘン」という名前が気になっていたのですが、駐在中に独語版を購入して「Pony Hütchen」という綴りを確認して・・・だよな~!とひとり納得したものです(笑)

駐在中には大人買いで独語版を買い揃えて再読したものです。「二人のロッテ Das doppelte Lottchen」は、小学生の頃に観た米ディスニー映画の「罠にかかったパパとママ」(ヘイリー・ミルズ主演)の原作じゃんか!と気が付いたり、「わたしが子どもだったころ Als ich ein kleiner Junge war」ではドレスデンで子供時代を過ごしたケストナー自身が体験したドレスデン大爆撃に関する僅か2ページほどに記述に思わず涙して何十回も読み返したり・・・あ、いかん、ケストナーの話はいくらでも書くことがあるので脱線ではすまなくなりそうです(笑)

そんなケストナーの作品(これも代表的なと言って過言ではないでしょう)に飛ぶ教室 Das fliegende Klassenzimmerというのがあります。進行形を表現している “fliegende” なので英語の「The Flying Classroom」の方が原題に近く「飛んでいる教室」の方が適切な訳なのかもしれませんが、なんせ子供頃に「飛ぶ教室」とスカッと潔い語感の題名を刷り込まれたので、今更「飛んでいる教室」が「より正しい」となっても・・・(笑)

はい、ここまでが長~い伏線でした、失礼しました(笑)

実は「僕たちは希望という名の列車に乗った」邦題の独語原題は「Das schweigende Klassenzimmer」というのです。最近の若い世代はともかく、大方のドイツ人なら「Das fliegende Klassenzimmer」のオマージュということがピンと来る仕掛けになっているのです。

これを邦訳すれば「沈黙している教室」「黙っている教室」・・・「飛ぶ教室」に対応させれば「黙る教室」というところでしょうか・・・だだ、日本人で「飛ぶ教室」を知っている一握りの人達には通じるかも知れませんが、大多数の潜在観客にそれを求めるのは無理があるでしょうね。

schweigen(シュヴァイゲン)というのは「黙る・沈黙する」という動詞で、Die Schweigeminute(シュヴァイゲ・ミヌーテ)というと「黙祷」のことです。映画ではハンガリー動乱の犠牲者への「黙祷」を捧げるという件と、それが東独では政治的にはタブーで、学校や政府による犯人探しが始まった際にクラスメートが「沈黙」を貫いて級友を庇う・・・その二重の意味で使われています。ケストナーの「跳ぶ教室」を含めて三重です。

ですが、英語版のタイトルは「The Silent Revolution(静かな革命)」仏語のタイトルも「La Révolution silencieuse(静かな革命)」スエーデン語も「Den tysta revolutionen」と、その二重の意味は表現できていません・・・原題を尊重し、言語的にも近いオランダでは「Das schweigende Klassenzimmer」とそのままですが、これはケストナー云々ではなく、それで理解できてしまうからでしょう。

ちなみに「僕たちは希望という名の列車に乗った」のプロットとしては、東独では報じられなかった 1956年のハンガリー動乱を知ってしまった高校生達や周囲の葛藤が描かれる訳ですが、これを描いたハンガリー映画があります(右) 

1956年と言えばメルボルン五輪の水球で、ハンガリーとソ連が死闘の末にハンガリーが勝利するのですが、そのハンガリーの水球選手と反ソ連闘士の女性の物語です。

これもハンガリー語の原題は「Szabadság, szerelem 自由、愛」ですが、英語版は「Children of Glory 栄光の子供達」となにやら意味不明、日本語版は「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」とメロドラマチックです(笑)

さて、もうひとつ重要なことがあります。「僕たちは希望という名の列車に乗った」という映画は実話がベースですが、この事件が起きたのは実は Eisenhüttenstadtではなく Storkow(シュトルコウ)というもっと田舎町なのです。

Storkowの独語 Wikipediaの一節に「数々の賞を受賞した映画『Das schweigende Klassenzimmer』は、1956年のシュトルコウでの実話に基づいている。シュトルコウの中等学校の Aレベルのクラス(Abiturklasse der Oberschule)は、授業中にハンガリー人民蜂起の犠牲者のために 5分間の黙祷を捧げることを決めた。この連帯の表明は、生徒も、その両親も、学校の管理職も、1956年 12月に犯人捜しのために直接このクラスを訪れたドイツ民主共和国の国民教育大臣フリッツ・ランゲも予想していなかった劇的な反応を引き起こす。16人の生徒のうち 12人は学校を追放された後に西ドイツに逃れ、アビトゥア(大学入学資格試験)を修了した」とあります。このあたりの経緯はSüddeutsche Zeitungに記事化されています。また Der Spiegelという雑誌にも採り上げられています

写真は上記 Der Speigelの記事から借用

★★アイゼンヒュッテンシュタット Eisenhüttenstadt -7- に続きます

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