誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(62):★★★グーベン Guben -5-

★★★グーベン Guben -4- からの続きです

さて巨大な教会の廃墟を背にして南に歩いていきます。映画館っぽい建物があります。

↑↑「KINO ISKRA KINO」・・・ISKRAってなんだっけ、なんか聞いたことのある単語・・・↓↓ ポーランドの庶民的なファストフードですかね?中央のはピエロギという餃子っぽいやつ、右のはロールキャベツっぽいですね。

↑↑「APTEKA NOWA」・・・NOWAは新しい、APTEKAは独語の APOTHEKE 薬局ですね

Baszta Bramy Ostrowskiej

ポーランド側のルサシア・ナイセ(Nysą Łużycką 独語では Lausitzer Neisse)に面するグービンを訪れると、その中心部に、この街で最も古いモニュメントが保存されているランドマークを見ることができる。それは、市庁舎と、その近くに立つ巨大な教区教会の廃墟である。その東側には、グビンの第三のランドマークがある。現在のマーヤ通り3番地にあるオストロフスカ門塔である。

この塔は 19世紀まで存在したオストルフ門の一部で、市街から Żary方面、そしてシレジア方面へと続いていた。建物は 15世紀か 16世紀に建てられた。円筒形の物体の周囲は約 25メートル、高さは23メートル。塔の頂上には、署名と歯付きのフリーズが付いた錫製の円錐形の兜が載せられている。その下には時計がある。

オストロフスカ門塔は、19世紀の要塞の取り壊しを免れた。その存在は、当時のグビンの住民の抗議のおかげである。現在もグービン旧市街の見所として残っている。(こちらのサイト)

こちらのサイトには ↑↑ 戦前の写真と ↓↓ 1600年頃の銅版画があります。銅版画によればこの塔は門の一部であったことがわかります。向こうの方に教会と Rathausの塔が描かれています。

この塔があるのは「5月3日通り」ですが、この通りの名前はポーランドの至る所にあります。1791年  5月  3日に採択された憲法の記念日で、偶然にも日本のそれと同じ日です。「近代的な成文国民憲法としてヨーロッパで最初のものであり、世界でも米国憲法に次ぐ 2番目のものとして知られているまた、第6章から第8章にわたり、議会(立法)・国王(行政)・裁判所(司法)の「三権分立」の原則および「法の支配」を明示しており、国王には立法権がない。実際の行政は国王に代わり議会の代表者である首相が取り仕切る「国王の評議会」が行い、これが現在の内閣に相当する(「立憲君主制」と「議院内閣制」)。名目上、国軍の最高司令官は国王であるが、大法官(カンツェシュ)は議会の代表者である首相であると同時に国軍の制服組の最高位である大元帥ヘトマン)の職を兼ねており、実質上の国軍の最高司令官は国王ではなく首相。戦争も行政の一環であると認識されている。このように、現代の基準に照らしてもきわめて先進的で、かつ完成度の高い民主憲法であった」(Wikipediaより

看板を拡大してみると「Centrum Biznesu」・・・Business Centerってことですね(笑)でも何を扱うところなんだろう?↓↓ は別の町で見つけた看板です。

↑↑ このあたりの建物の「補修が行き届いてない感」が東独の末期をを彷彿とされます。壁が崩壊し東西ドイツ統一が果たされ、復興税などを財源に</旧東独地域の建物の修復が始まって随分きれいになりましたが、ポーランドではこういう感じのままで残っています。しかし旧東独の町は建物の修復と引き換えに町の活気を失ってしまったという感じに対して、ポーランドは傷んだ建物と一緒に、それなりの町の活気はの維持されているようです。

★★★グーベン Guben -6- に続きます

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