誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(57):★★★ヴォルフェン Wolfen -8-

★★★ヴォルフェン Wolfen -7- からの続きです

駅に向かいます。来るときに通った、大きめの一軒家が並ぶ住宅街は、AGFAが戦前にここに工場を検察した時に従業員用として建設した Siedlung(入植地・団地・社宅)だったようです。戦後の東独の安普請集合住宅と比べて、戦前は余裕が有ったんですね。最後に関連の YouTube動画をいくつか集めておきます。

↑↑ 今はどういう人たちが住んでいるのかは分かりませんが、Wolfen-Nord(下の方に動画あり)の旧東独新興住宅街と比べて、比較的大きい一軒家が並んでいます。↓↓ 共同創業者の名前とありますが、この名前で検索しても何故かヒットしません。何故だろう?

↑↑ これは私の職業病です(笑)インクジェットの昇華転写という手法でプリントされたものですね・・・そうでなくてはこういう不規則な絵柄をプリントできません。↓↓ Änderungsschneiderei・・・所謂、衣服の「お直し屋さん」です。トルコ人やアラブ圏からの移民がやっているケースが多い印象ですが、比較的手軽に始められるからということでしょうか・・・

最後に YouTubeからいくつか関連動画を拾っておきます。

【Wolfen, Stadt des ORWO-Film:Wolfenの昔と今 メンデルスゾーンの交響曲「イタリア」に乗せて・・・12分】

【Original Wolfen Geschichte einer Filmfabrik:モノクロ 49分】

【Spaziergang durch Wolfen Nord in den 70ern:新興住宅街の Wolfen-Nord 6.5分】

以下は Bitterfeldの項目で採り上げるべきかもしれませんが、現在の自治体は Bitterfeld-Wolfenとなったので備忘の為、ここにアップしておきます。

【Bitterfeld und das verseuchte Erbe der DDR-Chemie:旧東独時代の Bitterfeldの公害の報告 18分】

【[Doku] Peter Wensierski “Bitteres aus Bitterfeld” 1:28:62】

Bitteres aus Bitterfeld. Eine Bestandsaufnahme』(通称『Bitteres aus Bitterfeld』)は、1988年にドイツ民主共和国で違法に撮影されたドキュメンタリー映画で、化学工場が集中するビッターフェルト周辺の工業地帯における環境汚染の実態を映し出すものである。グリーン・エコロジー・ネットワーク「アルシェ」の東ベルリンの反対派メンバー、地元の環境保護活動家、西ベルリンの映画制作者たちによる共同プロジェクトで、カウンター・パブリックを作る試みであった。

このビデオフィルムは、まずドイツ民主共和国の民間団体や教会で上映された。1988年秋、ARDの番組『Kontraste』が抜粋して放送し、海外の多くのテレビ局が取り上げた。ビッターフェルトでは、この番組はその日一番の話題となった。ドイツ民主共和国では、この番組によってArcheのネットワークが知られるようになった。ドイツ民主共和国の国家保安局は、この映画の制作に関与した人々を有罪にすることはできなかった。再統一後、ドイツや外国のジャーナリストによる「化学の三角地帯」の状況についての報道は、この映画の抜粋を基にして行われた。

【DDR 1988: Peter Wensierski über den Film “Bitteres aus Bitterfeld” 10:31】

★★★ヴォルフェン Wolfen の章を終わります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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