- 2022-8-12
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★★★ ルードルシュタット Rudolstadt -4- からの続きです
さてお城の方に向かって歩き出すことにします。いくつかルートはあるようですが、基本的にマルクト通りに直角に北の方に歩いて、適当なところでお城のある丘に繋がる坂道を登っていけばよく、要所になると道標が出てきます。でもその前に・・・なにやら気になる店を覗いてみます。
↑↑ で、その前にちょっと腹ごしらえをしようかな・・・と思ったんですけどね。旧東独の大都市ならともかく、小ぶりな町では、伝統的なドイツ飯屋(・・・これ、駐在員用語かな?(笑))は絶滅危惧種とか絶滅種に属するようです。伝統的なドイツのクナイペ(居酒屋)でさえ見つけるのが難しくなっています。その代わりに増えているのは「中東・トルコ系:Döner Kebab」・「ピザ屋:でもイタリア人がやっているとは限らない・・・大抵は違う」・「ベトナム料理:旧東独にはベトナム人多い」・「中華系:シェフの出身地は様々」・・・ちなみに「SUSHI」とか「UDON」なんて日本食を思わせるものもたまには見かけますが・・・ノーコメントです(笑)
ドイツでは中華系の軽食は「WOK」という看板と独特なフォントが使われるます。ドイツでアジア系の米や麺を食べたくなった時にはよく行きってました。ベトナム料理もヘルシーでいいですね。日本食は旧東独の田舎町にあるのは「ナンチャッテ(シェフが日本人ではない)系」ばかりだし、都会に行けばあるマトモな日本料理屋は高いし・・・ということで、接待(してもらう場合)以外ではあまり行きません(笑)
Wikipediaによれば「WOKとは日本人感覚でいうところの「中華鍋」で、鍋子、炒鍋、鉄鍋、蒸鍋などがある。福建語では「鼎」となる。広東語では「鑊」となる、英語も鑊の音をそのままに訳して「ウォック、wok」と呼ぶ」・・・とのことです。元は広東語だったんですね。
メニューの画像をアップしておきますが、元駐在員にとっては何とも懐かしい料理名ばかりです(笑)
↑↑ ミシン屋があります。SAALFELDというのはここから鉄道で 10分ほどのところにある町ですが、ミシンのブランドにもなっていました。ネットで探しても最早あまり情報は得られないのですが、Archiveportal-Thüringenというサイトに次のような情報があります。
「1860年、名工であり後に企業家となるアドルフ・クノッホ(1834~1897)がミシン製造のための工房を開き、ザールフェルトミシン工業を創設した。アドルフ・クノッホ社は、ドイツ中部で最も古いミシン工場である。1908年、息子のカール・クノッホによって株式会社に改組され、他のミシン工場と合併した。1945年9月14日から信託保全され、1947年4月に無報酬で収用された。1948年7月1日、VEB Nähmaschinenfabrik Textimaとして工場は再開されました。ドイツ民主共和国の党と国家指導部が宣伝した社会主義的大規模生産と、個別企業のコンバインへの合併の過程で、テキサマ・ミシン工場は1969年1月1日に閉鎖され、工場設備はVEBカールツァイス・イエナ、ザールフェルト工場に組み込まれ、写真レンズ、テープストレージ用部品、電子機器を生産していた。」
ちなみに VEBとは Volkseigene Betriebの略で、日本語では「人民公社」とか「人民所有企業」などと訳される旧東独の事業形態です。多くは戦前からあった私企業が接収され(経営していた資本家からタダ同然で召し上げ)それを社会主義政権下で人民が運営するという建付けにしたものですが、西側諸国の製品との競争力は失われていき、東西統一後に生き残ったものは殆どありません。今では当時の製品が一部のマニアによって Ostalgie(旧東独時代への郷愁)アイテムとしてネットオークションで売買されたりしています。
さて 「Schlossaufgang」・・・お城への登坂を見つけました。
★★★ルードルシュタット Rudolstadt -6- に続きます