- 2021-11-17
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★★★ノイシュタット=グレーヴェ Neustadt-Glewe -4- からの続きです
仕事で訪問した相手先の幹部とホテルで食事をした後、腹ごなしと「もう一杯、軽く」を兼ねて町歩きをします。夕食後なのでもう午後8時を回っていますが、サマータイムの6月なのでまだ十分に明るい時間です。Alte Burgと 発電所跡を見た後、広い通り(Breitscheidstraße)をブラブラと居酒屋を探して西に歩いて行きます(笑)
↓↓マルクトにあるラートハウスです。1802年から 1806年にかけて建てられたもので、バロック様式とされています。「マンサード」と呼ばれる、傾斜が異なる二段屋根が付いています。・・・しかし、居酒屋らしいものが見当たらんなあ。Ratskellerも無いのかな?
↓↓お!Lübzer Pilsの看板だ、そこにしよう!・・・と、思って近づいたら閉まってました。残念・・・!Lübzer Pilsはフランクフルト空港の JALラウンジに置いてあります(笑)Wikipediaはこちら。
↑↑ ↓↓ マリエン教会です。初期ゴティークのシンプルな建物で、鐘楼の塔は無く、別の建物になっています。まあ、教会はいいから・・・どうせ、この時間帯は中に入れないんだし・・・それより居酒屋だ(笑)
教会の裏手にイタ飯屋を発見、やっとビールにありついた(笑)
しかし、正直申して活気に欠ける印象です。まあ、大都市の繁華街ではないので、夜の9時過ぎに騒がしいハズはないんですが、この居酒屋の数の少なさはどういうことだろう?探した場所がスイートスポットを外していたのかな?でも、これからまたそういうコアな場所を探して歩く元気もないし・・・まあ、いいか、ここで(笑)
ここはイタ飯屋の屋外テーブル。ROMAはいいけど、よく見ると STEAKHAUSとも書いてある。なんでもアリやな(笑)家族経営みたいだけど、家族間でイタリア語を喋っている風がない。訊いてみたらエジプトからの移民なんだと・・・遠いところから大変だっただろうねえ。
隣のテーブルで独りワインを呑んでいたオジさんに話しかけてみる。IT業界のコンサルやってるそうで・・・今思えば、この頃(2016年)から「在宅ワーク」やってたということですかね。その人も地元生まれではなく、旧西独のハンブルクから来たんだそうで・・・まあ、どこでも出来る仕事のようだけど、わざわざここって、やはりちょっと変わり者なのか?あるいは住居費・生活費が格安とかかな・・・
潤沢に並ぶ居酒屋の中から居心地のよさそうな店を選んだという訳ではなく、他に選択肢が無かったという経緯・・・まあ、ちょっと変わり者のドイツ人と世間話ができたので、それはそれでよかったけれど、やはり地元の常連さん達が夜な夜な通ってるような、高齢者たちがスカットに興じているような・・・そんな居酒屋が好きなので、少しフラストレーションが残ります。
翌日、ルードヴィヒスルストに向かうタクシーの運ちゃんから聞いたんですが、社会主義時代には、居酒屋は少なくとも十軒は有ったんだそう。統一後は旧東独の「企業」は西側との競争に勝てず、倒産や廃業が相次ぎ、職を求めて都会に移住したり、残っている人達も遠方まで通勤したりということで「ベッドタウン化」しているんでしょうね。加えて、若い世代を惹きつけるものも少ないとなると、年齢構成も次第にワイングラス型になるという方向を加速する・・・
統一後、三十年も経ってまだあちこちに残る、旧東独時代に放置された廃墟あるいは廃墟寸前の建物をみていると、少なくともあの体制は限界が来ていたことは確かで、旧西独と統一したこと自体は悪かったとは思えません。崩壊寸前だった家並みや歴史的建築物などもすっかり補修が行き届き綺麗になりました。
しかし、それと引き換えに失ってしまった街の活気・・・差し引きしてどうだったんでしょう?ベルリンの壁が崩壊する少し前、チェコスロバキアやハンガリー経由で西側に出ていく東独市民の波がもはや抑えきれなくなっていく中で「Wir Bleinben hier(私たちはここに残る)」と、地元に残ってより良い政治を目指した人たちも多かったのですが・・・あの人たちはどうなったんだろう?旧東独のあちこちに「綺麗なドライフラワー」みたいな街を遺すことが東西統一が目指した成果だっただろうか?
・・・なあんてことを考えながら、部屋に有ったワインやビールを全部呑んでしまいました(笑)
★★★ノイシュタット=グレーヴェ Neustadt-Glewe -6- に続きます