誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(34):★★★アンガーミュンデ Angermünde -10-

★★★アンガーミュンデ Angermünde -9-からの続きです

さて、主な通りは歩いて町の雰囲気は掴めたような気がするので、駅に戻ることにします。例によって同じ道を歩いて戻るのは癪なので、出来るだけ違う道や裏通りを選びます。え?これまでのは「裏通り」ではなかったのかって?まあ、Berliner Strasseとか Marktなんて名称が付いているのは少なくとも「裏通り」ではありませんよ。でも「人影」が殆ど写っていなかったじゃないかって?そうなんですよね~!Marktの Bäckereiの前のオープンカフェに何人かの人は写っていますが、他は殆ど写ってないですよね。特に意識して人を撮らなかった訳では全くありません。テキトーにスナップを撮った結果がこんな感じなんです。

しかし・・・見事に人が居ませんね~!赤ん坊の泣き声が聞こえるとか、子供が騒いでるとか、道でサッカーごっこやってるとか・・・そんな気配もありません。なんなんでしょうね、この静けさ・・・でも、これって旧東独の町にありがちな雰囲気です。ところどころに落ちこぼれはありつつも、概ね綺麗にリノベーションされた家屋・・・でも、それと引き換えに「活気」を失ってしまった・・・メフィストに魂を売ってしまったのかも知れません。
↓↓ 地図はクリックすると拡大します。真ん中あたりにマルクトが確認できますね。歩いたのは、地図の真ん中より右の方・・・「イェーガー通り」「シュロイゼン通り」「クロスター通り」とあるあたりです。

Franziskaner-Klosterkirche Peter und Paulです。この Wikipediaの解説も、詳しく読むといろいろ興味深いことが書いてあります。関心のある方は是非!

↓↓ 町に入る時の分岐点で、左に行くのは Berliner通り、右に行くのは Kloster通りですが、その遠景にこの建物が見えています。



これは統合後にも生き残った数少ない旧東独の遺産です。歩行者の横断歩道信号の可愛い「アンペルマン」は有名ですが、もう一つ・・・赤信号でも「右折は可能」という標識です。旧西独に無かったのですが、旧東独では「直進方向の信号が赤でも、左から来る車の流れに注意しつつ右折は可能」だった・・・これを合理的として採用されたのがこれです。

以上、ブランデンブルク州の北東のはずれ、ポーランド国境にほど近いアンガーミュンデをぶらぶら歩いてみました。

我々日本人が、世界史の教科書で習ったドイツの歴史、少なくともそのメインストリームに登場する町ではなく、壮麗な城や由緒ある教会があるというところでもないので、普通の日本人の観光ターゲットにはならない町です。まあ、ドイツ人にとってもほぼ同様で、どこを切り取っても絵になる南ドイツとは違って極めて地味な地域で、ホテルやレストランなどの観光インフラもイマイチ・・・的な感じです。

だけど、何故かこういう町って好きなんですよね(笑)確かに、歴史の中で華々しいドラマの舞台にこそならなかったけれど、建物とそこで居酒屋を営んでいた人の人生や、なんというコトの無い教会の歴史・・・Franziskaner-Klosterkirche Peter und Paulなどは、元々カトリックのフランシスコ会の修道院だったところ、宗教改革でこの地域はプロテスタントが主流となりフランシスコ派は追い出され、三十年戦争で荒廃し、その後入植してきたユグノーによって再建されて・・・などという話を読むと、こんな小さな田舎町でも、やはり大きな歴史に翻弄された痕跡があり、壮大なドイツ史のジグソーパズルの目立たない一ピースが嵌った感じがするんです。

↓↓ 動画です。私の写真を撮った日よりホンの少しだけ天気がいいので、少しは印象が変わるかもしれません・・・変わらないか(笑)

↓↓ 1992年・・・壁の崩壊からまだ3年しか経っていない時点での貴重な動画です。

↓↓ 電車に乗って数分も走るとこんな風景です。こんな環境の中に、町が成立して 900年近く存在していることが奇跡の様にも思われます。五十年後・・・この町はどうなっているのでしょうか?

★★★アンガーミュンデ Angermünde の章を終わります
シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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