三十年前のドイツ(34):1989年11月9日木曜日 ベルリンの壁崩壊(1)

この日の夜、ベルリンの壁は崩壊します。が、既に書いてきたように、それはもう時間の問題となっていました。チェコスロバキアとの国境はパスポート無し、東独の身分証だけで通過することができ、かつ一旦チェコスロバキアに入ると、わざわざプラハの西独大使館に行かなくても直接西独のバイエルンに出国することが出来ました。ただ、まだ民主化していなかったチェコスロバキア政権としては迷惑な話なので「こんなウチの国経由なんて迂回などさせずに、東独から西独に直接出国できるような法整備をしてくれ!そうでなければ、東独との国境を封鎖する!」と東独に申し入れたのです。

それはチェコ経由の出国という「ガス抜き弁」を閉じるということになり、東独で不満のガス爆発が起こるのは必至の情勢で、既にそれに対処する法整備を進めていたとはいえ、東独政府には益々プレッシャーがかかります。元々の草案には「国を棄てて恒久的に出国したいものはどこからでも出国できる(=直接出国できる)」とあり、これは11月10日から発行することになっていました。これでガス抜きができるので、パスポート発行などの手続きにかかる時間を考えれば、実質的にはもう一ヶ月くらいは詳細検討の余地があると東独政府は読んでいたと思われますが、12月にはベルリンの壁の検問所はちゃんとした手続きをすれば通過できることになっていたのです。

とはいえ、当時の東独政府は混乱の極みにあり、情報共有は統制は取れていなかったのが現実です。周辺諸国経由の大量出国(Massenausreise)のことばかりが頭にあり「国を棄てて恒久的に出国(Ständige Ausreise)」主体の法律草案となっていましたが、そうではなく、週末にちょっと親戚に会いに行くような私的な旅行(Privatreise)も許可しないと不満は解消されないということを理解していた一部の幹部が、それに関する条項を追加します。このあたりの情報共有や審議は十分に尽くされないまま、混乱していた政権幹部達のアタマの中をすり抜けてプレス発表のドキュメントに紛れ込むことになります。

そして、そのシャボウスキー報道官による記者会見が下の動画です。2:30あたりで「いつから発効するのか?」という問いに対し「ab sofort(直ちに)」と答えています。

世界の歴史を変えることになった国際プレスセンターでの記者会見はDDRのテレビで実況中継された。中央委員会のスポークスマンはダラダラと会議の内容を報告した。そして、18時57分、イタリアの記者が「旅行法草案」というキーワードを口にした。シャボウスキーはそれに関する昨今の問題にちょっと触れた後、思い出したように発表を始めた。

「え~、というような情勢ではあリますが、私の知る限りでは(・・・やや腑に落ちない顔で右や左をキョロキョロ見回しながら)本日ある決定が為されました。それは政治局からのアドバイスもあって、新しい旅行法案の一部を削除して発効させることになった訳でありますが、それは永久・・・あ~、まあ表現の妥当性はともかくとして、いわゆる永久出国について、すなわち共和国を棄てて出て行く事に関する法案です。」そして更に「従って・・・え~・・・本日・・・え~・・・東独市民だれでもが東独の国境検問所を通って・・・え~・・・出国できることを可能とする旅行法案が・・・成立しました。」

東独から永久に去るという出国に関して、ハンガリーやチェコ・スロバキア経由ではなく直接西独に出ることが出来る。これは新しい情報だった。しかし本当のセンセーションはついでのように発表された。私的な旅行について・・・ある記者が発した、この法律がいつから発効するのかとの問いに、シャボウスキーはちょっと方向感覚を失ったかのようだった。

「え~と、皆さん、私に知らされているのは、この通知は・・・え~・・・今日、既に公表されているとのことですが。既に発効しているはずです。」シャボウスキーは自信なさそうに手許の書類をパラパラとめくり、性急に読み上げた。「ええと、国外への私的な旅行は、要請状とか親戚の存在などといった要件の提示なしに申請することが出来ます。許可は短期間に与えられます。」

そして、こう続けたのだった。「恒久的な出国(Ständige Ausreise) は西独へ通じるどの検問所からでも可能です。」それに対して再び質問「それはいつから発効するのですか?」シャボウスキーは手元の書類をパラパラめくりながら「私の知るところでは・・・直ちに、遅滞無く・・・です。」その「直ちに!」というのがシャボウスキーの歴史的な過ちであった。彼はそう言い切ることで事情をよく知らないことを覆い隠そうとしたのだ。そもそも新しい指令は、翌日から発効することになっていたのだ。(Guide Knopp:Unser Jahrhundet(私たちの世紀)からの引用)

私として最も印象に残るシーンは、質問したくてウズウズして立ってマイクを握っていたイタリア人記者の念を押すような質問:
「Herr Schabowski, Was wird mit dem Berliner Mauer jetzt geschehen ?シャボウスキーさん、ではベルリンの壁には今何が起こるんでしょうか?」という率直な質問と、それに対するシャボウスキーの狼狽を隠すような返答ぶりです。 既に動画の中でも見られるように、各国メディア大勢の記者が、このニュースを発信するべく記者会見場を抜け出します。

しかし、要約すれば、翌日の11月10日発効し、マイルドな手順で出国を認めていく積りだったのが、手違いで9日に「直ちに発効」と言ってしまったので人々が検問所に殺到し、勢いで壁が崩壊する事態となったに過ぎないとも言えます。もしこの間違いを犯していなければ・・・東独政府が思い描いていたように、10日以降に「ベルリンの壁や国境を維持したままでの秩序ある出入国」が実現したのかどうか?それは誰にも分かりません。私は、一旦東西ドイツ市民の自由な交流が実現してしまえば、国境やベルリンの壁の開放・崩壊は時間の問題だったろうと思っています。
【1989.11.9 木曜日】


まず、西独 ZDFの午後7時の heuteというニュース番組では、ちょうどシャボウスキーが会見中であったためこのニュースは当初取り上げられていません。東独が党大会を開催するというニュースに続いて、コール首相が戦後の和解の為にポーランドに外遊し、6日の滞在中に数々の条約や経済支援を約束し、またクラカウ、ルブリンやアウシュヴィッツなどナチスの犠牲者を追悼する予定について多くの時間が割かれます。その後、シャボウスキーの記者会見が流れますが、それは東独の自由選挙がテーマとなっています。

そしてニュースの半ば 14:35あたりに「再び東ベルリンから・・・」と、数分前に届いたばかりのニュースを読み上げ「東独市民は直ちに、どこからでもどこにでも西独への出国が可能となった」と報道します。殆どの東独市民はこの heuteを観ているはずはありませんが、西独市民は「えっ?何それ?」と仰天します。


上の動画は東独国営放送の7時半のニュース番組 Aktuelle Kameraです。西側の放送を公には受信出来ない東独市民はこれを観ていたわけです。こちらは最初に12月に党大会を開催するというのがトップニュース、旅行法に関する発表内容は2番目の扱いですが、淡々と方案骨子と記者会見の様子を読み上げています。この中で「Privatreise(永久出国 Ständige Ausreiseではなく、ちょっと西の親戚に会いに行くような旅行)には特別の手続きは不要と言っており、これを聴いた東独市民は「えっ?」と思ったことでしょう。アナウンサーは Aktuelle Kameraの顔ともいうべき Angelika Unterlaufです。

時系列では最後に来る西独 ARDの午後8時の Tagesschauではこの会見の模様をトップニュースで扱っていますが、この時点ではまだ人々がベルリンの壁の検問所に殺到している状況は報道されていません。

三十年前のドイツ(35):1989年11月9日木曜日 ベルリンの壁崩壊(2)に続きます。

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