誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(71)★★★ ガルデレーゲン Gardelegen -1-

ザクセン=アンハルト州のガルデレーゲン Gardelegenをご紹介します。

場所はハノーファーとベルリンを結ぶ鉄道の真ん中あたりにシュテンダールがあり、そこからハノーファーに向かって約 30kmほど戻ったところです。ローカル列車なら 30分足らず、間に停車駅は4つです。

非知名度の★は・・・日本人でガルデレーゲンをご存知の方はかなり特殊な(私みたいな(笑))趣味の方でしょう(笑)前回のタンガーミュンデは「行ったことがあり市長と会食した」という方がおられました。ここは流石に無いだろうなあ。こういう町の紹介は・・・萌えますね(笑)

ドイツ人でもそう多くはないような気もしますし、魅力的な観光スポットもあまりないことから★★★にしておきます。ただ、町外れで戦争末期に悲しい出来事があり、その方面の研究者には知られた地名かも知れません。この手の話題は興味本位に流れがちなので殊更触れることはありません。少しだけ触れて関連サイトにリンクを張る程度にしておく方針です。

Wappen Lage Data

独語 Wikipedia
市の公式サイト
観光案内サイト

いつものように、駅のパン屋で「Belegtes Brot(ちょいと加工したパン・・・切ってハムやチーズを挟んだもの)」とコーヒーを買い、朝食にします。

駅前にはバス停がありますが、よほど疲れていない限り、まずバスに乗ることはありません。頻繁に出ていれば乗るかもしれませんが、結構まばらなんですよ。

駅から中心部、例えばラートハウスまでは約 1.3kmあります。ドイツの大方の小都市がそうであるように、この町の駅も旧市街の中・・・というか、かつての城壁の中には無く、少し離れたところにあります。

ドイツでは概ね 1850年頃から鉄道網が急速に敷設されていきますが、当時の感覚では「あんな煙を吐く機械を街中にいれるなんてトンデモない」というモノだったのでしょう。また火の粉による火災の懸念もあったと思われます。鉄道を通すために城壁を壊すことへの抵抗もあったでしょう。

城壁が壊されるのは自動車が普及を始め、都市が大きくなり、もはや中からの膨張圧力に耐えられなくなってから・・・ということでしょうね。

という訳で、私の中小都市の探訪は「駅から中心部まで平均(感覚的に)1.5kmくらいは歩く=往復で 3kmくらいは歩くことになります。それに加えて街中をグルグルと 3kmくらい、合計で 6km/1都市くらいは歩くことになります。一日3都市を訪問すると単純計算で 20kmくらいは歩くことになるのです。これがほぼ毎日・・・日本では考えられない健康的な生活です。

ま、これが夕方のビールの免罪符になっているという訳です(笑)あ、夕方だけでなく、途中でも・・・(笑)

Bahnhof通りを歩きます

「この建物には、1945年から1992年まで1945年から1992年までソ連軍の司令官事務所と刑務所があった。1950年代半ばまで、多くの人々がここで試練を受け、不当な判決や死を経験した。共産主義の暴政の犠牲者を偲んで」

・・・旧東独地域は東独政府の元でナチスの蛮行を糾弾する慰霊碑や追悼の施設が多いのですが、ベルリンの壁の崩壊後は流れが変わり「共産主義独裁政権による犠牲者を悼む」趣旨のプレートや慰霊碑も見られるようになりました。旧東独時代にはまず見られなかった現象です。

いい感じの建物があります・・・というか、こういうのを「いい感じ」と思ってしまうのが私の感性なんです(笑)

かつては町一番のホテルとして町の名士たちが食事をしたり、結婚式や宴会なんかが有ったんだろうなあという感じが伝わってきます。社会主義時代にその伝統は途切れ、今日では町外れと駅からも外れた妙に中途半端な場所に・・・

こういう建物にまた命を吹き込んで復活させるのには何をすればいいんだろう?あるいは、なすすべもなくこのまま廃墟となって朽ち果ててしまうのでしょうか?

★★★ ガルデレーゲン Gardelegen -2- に続きます

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