皆様、あけましておめでとうございます。
2023年卯年のご挨拶を申し上げます。
2016年から始まったこの新年のご挨拶も今回で8回目を迎えることとなりました。バックナンバーはこちらにありますが、読み返してみると、毎年好きなこと書いとるよな~と苦笑いものです・・・が、まあでも割と正直にストレートに書いてはいるなとは思います。仕事始めでまだエンジンが全開となる前に、よろしければバックナンバーもお目通しください。
毎年、その年の世相や、最近ではコロナに触れていますが、今年は触れるべきテーマが多過ぎ、かつ一つひとつが重すぎるので、そこから説き起こすと新年の挨拶としては破綻をきたすことになりそうです。そこで、そういう話題は別途改めて触れることにして、今回はちょっと違ったアプローチで書き始めようと思います。
古希ですが、気分は不惑(笑)
1953年生まれの私は今年の誕生日で 70歳、所謂「古希」を迎えますが・・・気分は「不惑」です(笑)あ、部分的には「卒寿」かも知れません…知らんけど(爆)今年もいろいろ仕掛けていこうとヤル気満々なので、引き続きよろしくお付き合いお願いいたします。
皆さんに「元気だねえ」とか「若いねえ」とか・・・いつまでそんなことやってんのさ?という若干の揶揄も込めて言って頂くことも多いです。まあ、確かに一般のサラリーマンの定年後の生き様とは少し違ってはいるかもしれませんね。何故なのでしょう?
また「大野さん、楽しそうですね~!」と言って頂くこともあります(これ、嬉しいです(笑))何故 2016年 3月に退職して 7年間も、皆さんご存じのような「産業用インクジェット全般の応援と、世界との懸け橋役」を務め、更にまだこれからもそれを発展していこうとしているのか?それを楽しそうにやっているのか?そのモチベーションは何なのか?
オカネの為やろ?・・・ほら、関西人はすぐそういうことを言う・・・あ、自分もか(笑)もちろんそれが皆無というほどの聖人君子でもなければ、提供する価値に対して、その対価を支払うという敬意は不可欠と考えているので完全無償のボランティアのようなサービスではありません。ただ、前職を役員で退任した私としては、傲慢な書き方をお許し頂けるなら、死ぬまで食うに困ることなどまず無いワケで、そこが第一の目的ではないことは明らかです。
結論から申せば、私は自分がやっていることは「天職」だと思っているのです。ライフワークとも思っています。
ドイツ語に「Arbeit(アルバイト)」と「Beruf(ベルーフ)」という言葉があります。日本語ではいずれも「職業・仕事・労働」のように訳されがちですが、前者は文字通り「与えられる仕事」であるのに対し、後者の「(Be-)ruf」は「rufen:(神が)呼びかける」から来ており・・・要は「神から呼びかけられた仕事=天職」という意味になるのです。ご心配なく・・・インチキ宗教論を展開するつもりではないことを、最初に断っておきます・・・時節柄(笑)
なんで「天職」だと思うようになったの?
大学一年生の夏休み、関西の実家に帰省した際に、母親から「近所の中学一年生3人に勉強教えてやってと頼まれてるんだけど、どう?」と持ち掛けられ「いいよ、ど~せヒマだし!」・・・あ、その時はバイト代目的でした(笑)中一になってからまだ数か月、そこで早くも数学が苦手になりつつある子供達・・・ということで、教科書を最初からさらったら案外簡単にわかるようになった。確認に問題集をタイムトライアルでやらせて、お、大丈夫やんか!
それではと、中二の数学に着手して・・・それも難なくクリア!おい、ホンマかよ?と思いながら。もうこうなるとこちらも面白くなってきて「じゃ中三のをやっつけちまおうぜ!」と・・・中一で「(小学校で習わなかった)Ⅹって何?」と躓いていた子供たちが、ひと月足らずで根の公式を自分で式を変形して求められるようになってしまった。このフェーズでは子供たちは家にも帰らずウチで寝泊まり・・・梁山泊状態(笑)そして夏休みも残り数日となった時に、遂に自分が使っていた数研出版の数Ⅰの教科書を持ち出し、微積分の初歩まで・・・
正直、時給ベースのバイト代はもうどうでもよくて・・・ただただ、彼らが目の前で「分かりにくいことを理解していく」様が快感でした。この時・・・自分の天職は「学校の先生」ではないかと・・・神が呼んだかも知れません。でも怠け者の私は、まだまだ目的意識も希薄で大学では遊び呆けて教職課程も採らず、なんとなく写真が好き程度の理由で写真関係の会社に就職します。でも、あの時呼ばれた神は、またいずれ顔を出します。
会社で出会った神
長らく事務機事業部門(電子写真製品の事業部)にいた私は、46歳の時に突然役員に呼び出され「今度新規事業でインクジェットをやるんだか、そこを助けてくれないか?」・・・背景はいろいろあったんだろうとは思いますが、そこで産業インクジェットに出会います。
中央研究所なので優秀な技術屋さんがわんさといる組織で、理系をドロップアウトした私に務まるんかいな・・・でも、行ってみれば・・・この優秀な人達、事業って知らないのでは?カネ勘定って分かってないのでは?部門同士の技術議論(もどき)なんてお客には関係ないって理解できてないのでは?日本に市場なんて(今は)無いことに気づいていないのでは?「だからこそ、あんたが核になって事業を立ち上げるんだよ」・・・と、神が呼んだのでしょう。前のとは多分別の神(商売の神=えべっさんとか?)・・・知らんけど(笑)
その後、二つの会社が合併することになりまして(世間的には統合とか称していますが、法的には存続会社・消滅会社がある吸収合併)「インクジェットはそろそろ離れて、また元の『花形部門』に戻ってこないか?悪いようにはしないよ」とのお誘いが来たことがありました。多分破格の待遇も暗示されたように思います。
でも、「神」と元上司の呼びかけ?どちらが強いかは明らかですよね。サラリーマンとして破格の待遇を断るというのは易しいことではないと思います。でも、その時私は「今、自分がインクジェットから抜けたら、折角ここまで立ち上がってきた事業がまた崩壊してしまう!そりゃ出来ん!」という悲壮な使命感みたいなもので、個人の収入やステイタスは二の次でした。
そして、何より、内部忖度しかない大組織ではなく、世界の舞台でリアルビジネスに関わるという面白さを知ってしまったら、もうそれを多少のカネや、所詮は社内のステイタスアップと引き換えに手放すなんて・・・できません!楽しかったんですよ・・・楽しそうに見えていたと思いますが、心底楽しかったんです。
会社を離れてから現れた神は・・・
現役時代から「社内忖度しても、それはカネも生まないし事業拡大に資するところはない、それより社外や競合と交流・交易してナンボ」と思っていました。実際、そういう海外コミュニティの中で自分の居所を見つけると「コニカミノルタの大野がインクジェットを担当しているのではない、インクジェットの大野がコニカミノルタを担当しているんだ」というコペルニクス転回的な視座の転回が起こりました。
会社を離れてから(・・・というか現役時代から)そういう視点で日本の産業用インクジェット世界を眺めると・・・まだまだ一杯やることがあるなあと思えます。私が中央研究所のインクジェット事業立上げプロジェクトに来た時のような・・・優秀だけど自分の技術をカネに換える方法を知らないで、純粋な技術論こそ命!みたいな無邪気さ。
更によくないことに、実際には世の中や会社に対して「全く何の付加価値をも生んでおらず、外にも出ていかず、エクセルの上で計画を作ったり、その予実差異の説明を部下に求めてモチベーションを挫く」ような無意味な輩達がベットリと上位管理職として層を成して存在している(・・・これは流石に中央研究所には殆どいません)。
そして、個々の企業が、産業全体や世界の産業という視点を欠いたまま個別の努力をして、産業のコミュニティというものが存在していない・・・こういうのって、何とかしなければ!・・・オマエが何とかしろよと、神が呼んでいるのです(笑)
纏めます
大学一年の夏休みに降臨した神は、自分が少しヒントを与えることで「おお、そういうことか!」と相手の目からウロコが落ちて輝きだす・・・それを見るのが自分にとっての無上の喜びであり報酬である!と教えてくれた神でした。
結局、今私がやっている活動は、遠目で見ると本質は同じなんだろうと思っています。業界の皆さんが気が付いていないこと、海外で起こっていることで(そこに出ていかないので)知らないこと、情報はあるのに(英語なので)読まないので結果的に知らないこと・・・まず、こういうことを情報提供し「アハ!なるほど!」と目からウロコを落として頂く・・・それを見ることこそ、私にとっては無上の快感であり、報酬でもあり、「天職」とまで言い切る所以です。だから楽しいんですよ。
会社を定年になって、いままで時間的にやれなかった趣味の楽器演奏や旅行や庭いじりに勤しむ人も大勢おられるし、それはそれで大いに結構だと思います。まあ、そういう人たちに「大野、いつまでそんな仕事みたいなことやってんだよ」・・・と言われたくはないですが(笑)趣味の楽器演奏や旅行や庭いじりが「暇つぶし」ではなく「天職」だと思えるなら大いに結構ですね。
そういう意味では、私のライフワーク(の一つ)として「誰も知らないドイツの町」というシリーズで、ドイツの田舎町を紹介しているのですが・・・あれも結構隠れたファンが多く、インクジェットコミュニティより、むしろドイツ関連コミュニティでも、ちょっとした評判を頂いているんです。
私にとってはインクジェット業界の盛り上げも、無名なドイツの町の紹介も「アハ!そうだったの!目からウロコが落ちたよ」という評価を頂けるという点で、等しく「天職 Beruf」だと思っている次第です。時間と労力の対価として賃金を受け取るという「労働(Arbeit)」ではありません。だから・・・楽しそうに見えているかと思いますし、実際楽しいんです・・・幸せなことですね!有難いことです!
・・・というわけで、今年度は「古希だけど、気分は不惑!」で進んでいこうと思います。今回、これを書くにあたり「古希」とか「不惑」などの漢語をネットで調べてみました。志学(15歳)とか而立(30歳)とか耳順(60歳)・・・とか、論語でありましたよね?で、ずっと忘れていたのですが、50歳のことを「知命」というそうですね。「論語・為政第二」に「知命:五十にして天命を知る」(孔子は言います。私は、五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。)あ、これだな!
同じく「論語・為政第二」に 70歳のことを「踰矩:七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」(孔子は言います。私は、七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました)・・・ここに至るにはもう少し修行が必要なようです(笑)
・・・ということで皆様にも、今年のどこかで神の声を聞く機会が訪れますよう祈念致す次第です。あ、紙の中(エクセルの計画表)には神は居ませんよ・・・多分(笑)
おまけ
もう一人の大野がこう言ってます・・・「お前、ちょっとカッコよすぎちゃう?なんぼなんでも・・・これでは単なる自慢話みたいなもんやんか!オレはお前の『黒歴史』も知ってるんやで!それも曝け出してホンマの本音を書かんとアカンのとちゃうか?」
あ~あ、折角オチを付けたのにぃ!(笑)
ま~なぁ、確かに黒歴史に触れないと片手落ち・・・ちゅうのはあるかもな~。もうそれは「新年のご挨拶」の範疇を超えるので、近々別項目で書くことにするワ!乞うご期待・・・あ、期待しなくていいです(笑)